藤原房教
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 寛喜3年(1231年) |
死没 | 正安元年6月6日(1299年7月4日) |
別名 | 葉川殿 |
官位 | 正二位・侍従 |
主君 | 後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇→後深草天皇→亀山天皇→後宇多天皇→伏見天皇→後伏見天皇 |
氏族 | 近衛家庶流粟田口家 |
父母 | 父:藤原基良、母:藤原隆雅娘 |
兄弟 | 粟田口良教、房教、藤井教嗣 |
子 | 房通、房家、隆慶、教覚 |
藤原 房教(ふじわら の ふさのり)は、鎌倉時代中期の公卿。権大納言藤原基良の二男。官位は正二位侍従、非参議。葉川殿と称す。
経歴
[編集]以下、『公卿補任』、『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 正嘉2年(1257年)1月15日、従三位に叙せられる。侍従は元の如し[1]。
- 文応元年(1260年)3月、正三位に昇叙。
- 文永5年(1268年)1月5日、従二位に昇叙。
- 建治元年(1275年)2月21日、母の喪に服す。
- 建治2年(1276年)12月23日、父・基良の喪に服す。
- 建治3年(1277年)11月6日、復任する。
- 弘安2年(1279年)12月12日、正二位に昇叙。
- 正安元年(1299年)6月6日、薨去。享年70。
系譜
[編集]脚注
[編集]- ^ 房教が従三位に叙せられる以前の官位はよくわからないが、薨去するまでずっと侍従であった。