藤原保実
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時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 康平4年(1061年) |
死没 | 康和4年3月5日(1102年3月25日)または3月4日[1] |
官位 | 正三位、権中納言 |
主君 | 後三条天皇→白河天皇→堀河天皇 |
氏族 | 藤原北家閑院流 |
父母 | 父:藤原実季、母:藤原睦子(藤原経平の娘) |
兄弟 | 公実、保実、仲実、苡子 |
妻 | 藤原顕綱の娘 |
子 | 実信、定通、通俊、実時 |
藤原 保実(ふじわら の やすさね、旧字体:藤󠄁原 保實)は、平安時代後期の公卿。藤原北家閑院流、大納言・藤原実季の次男。官位は正三位・権中納言。
経歴
[編集]延久元年(1069年)従五位下に叙爵。延久5年(1073年)侍従。承保元年(1074年)右近衛少将を経て、承保2年(1075年)従五位上に昇叙。伊予権介・右近衛権中将を経て、承暦3年(1079年)正四位下、永保2年(1082年)蔵人頭。そして翌永保3年(1083年)参議となり公卿に列す。
播磨権守を経て、応徳3年(1086年)従三位に昇叙。寛治2年(1088年)正三位に叙され、美作権守・伊予権守・備後権守と地方官を兼ねる。康和2年(1100年)に権中納言。康和4年(1102年)大宰権帥となるが同年3月5日に薨去。享年42。
官歴
[編集]- 延久元年(1069年)11月:従五位下
- 延久5年(1073年)正月30日:侍従
- 承保元年(1074年)12月:右近衛少将
- 承保2年(1075年)正月5日:従五位上、正月28日:伊予権介
- 承保3年(1076年)正月26日:正五位下
- 承保4年(1077年)正月11日:従四位下、3月27日:右近衛権中将、12月18日:従四位上
- 承暦3年(1079年)正月1日:正四位下
- 永保2年(1082年)正月22日:蔵人頭
- 永保3年(1083年)正月26日:参議
- 応徳2年(1085年)2月15日:播磨権守
- 応徳3年(1086年)11月20日:従三位
- 寛治2年(1088年)正月19日:正三位
- 寛治4年(1090年)正月:美作権守
- 嘉保2年(1095年)正月:伊予権守
- 康和2年(1100年)正月:備後権守、7月17日:権中納言
- 康和4年(1102年)正月:大宰権帥
系譜
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- 『公卿補任』