藤井伊右衛門
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藤井伊右衛門 ふじい いうえもん | |
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生年月日 | 1890年2月2日 |
出生地 |
日本 長野県上水内郡長野町 (現・長野県長野市) |
没年月日 | 1974年5月8日(84歳没) |
出身校 |
大阪高等工業学校醸造科卒業 (現・大阪大学工学部) |
前職 | 醸造業 |
現職 | 実業家 |
所属政党 | 翼賛政治会 |
選挙区 | 長野県第1選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1942年4月30日 - 1945年12月18日 |
在任期間 | 1934年12月7日 - 1937年5月23日 |
14代 藤井 伊右衛門(ふじい いうえもん、1890年 (明治23年)2月2日[1] - 1974年(昭和49年)5月8日[2])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、長野市長。初名・邦太郎[3]。
経歴
[編集]長野県上水内郡長野町西之門町(現長野市)で、醸造業・「吉野屋」の13代藤井伊右衛門の長男として生まれる[3][4][5]。生家は紀伊国発祥で、慶長3年(1598年)に善光寺町に移住し、代々にわたり町年寄を務めた[6]。
長野県立長野中学校を経て、1912年、大阪高等工業学校醸造科を卒業[2][4]。1926年、家督を相続して14代藤井伊右衛門を襲名し吉野屋を継いだ[3][4]。
1934年12月7日、長野市長に就任し、1937年5月23日まで在任[7]。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け長野県第一区から出馬して当選[3][4]。大政翼賛会長野県支部事務局長、県翼賛壮年団長などを務めた[4]。
戦後は大政翼賛会の県事務局長や推薦議員のため公職追放となり[8]、(株) よしのや社長、雲山銘醸 (株) 社長、長野キリン販売 (株) 会長、北信酒造組合長、県酒造組合連合会評議員、長野保護観察審査会副会長、長野県公安委員会委員長、長野県社会福祉協議会長、全国社会福祉協議会副会長などを歴任した[2][4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年。
- 赤羽篤外編『長野県歴史人物大事典』郷土出版社、1989年。
- 長野県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会編著『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典30、角川書店、1996年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
外部リンク
[編集]- 歴代長野市長 - 長野市