コンテンツにスキップ

薔薇の標的 (1980年の映画)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
薔薇の標的
監督 村川透
脚本 白坂依志夫桂千穂
出演者 舘ひろし
内田良平
本間優二
中島ゆたか
山西道広
今井健二
佐藤慶
松田優作特別出演
音楽 羽田健太郎
撮影 仙元誠三
編集 田中修
製作会社 東映セントラルフィルム
配給 東映
公開 1980年4月19日[1]
上映時間 99分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

薔薇の標的』(ばらのひょうてき)は、1980年に公開された日本のアクション映画舘ひろし主演、村川透監督。東映セントラルフィルム製作、東映配給[2]

1972年東宝映画『薔薇の標的』と同一タイトルで、脚本も同じく白坂依志夫桂千穂が手掛けているが、ストーリー上の関連は一切ない[3]

仮タイトルは『激走遊激隊』だった[4][5]

ストーリー

[編集]

現金輸送車襲撃犯の野本宏(舘ひろし)は奪った金を元手にした麻薬取引の最中、八木(山西道広)率いる暴力組織の襲撃を受け、その上弟分の明(峰竜太)を失い、何者かによるタレコミによって服役生活を送る。4年後模範囚として仮出所した宏は、八木を襲って金を奪い、組織のボス・井戸垣(今井健二)に復讐を宣言する。しかし直後、尾行していた八木らに反撃を受けるが、一足先に出所していた親友である門田圭介(内田良平)に救われる。その後、宏は恋人の杏子(中島ゆたか)と再会し一夜をともにするが、4年前の杏子でないことを感じ、別れを告げる。

翌朝、門田の舎弟である元麻薬Gメン・中尾光二(本間優二)から、貨物船の事務長・王兆徳(草薙幸二郎)と井戸垣との麻薬取引情報を入手。カタギの生活を望む宏と圭介は、このラスト・ビジネスに賭けた。取引当日、麻薬Gメンを装った光二を先頭に取引先の倉庫を襲撃し、5億円を強奪するが、逃走時に光二が射殺されてしまう。宏は負傷しながらも、光二の妻に分け前を届け、なんとか自宅に戻り、杏子に看病される。一方圭介は、ホテルのツケを返しに加世(沢たまき)の元を訪れ、息子の入所する養護施設に分け前の現金を寄付し、カナダに高飛びしようとしたところを八木らに捕らえられ、リンチを受ける。それを杏子から聞いた宏は、杏子を疑いながらも敵陣に乗り込み、組織との銃撃戦の末に圭介を助け出すが、直後に圭介が宏を庇って井戸垣の銃弾を受ける。渾身の力をふりしぼり、井戸垣を道連れに圭介は転落死した。だが感傷に浸っている間もなく、組織の首領・浜田(佐藤慶)が銃を手に現れ、引き金を引こうとした瞬間に銃声が轟く。それは、杏子が浜田に放ったものだった。宏にカタギに戻って欲しい一心から4年前の取引を浜田に密告し、また密かに宏の弁護料と保釈金を用立てていたのは、外ならぬ杏子だった。浜田に騙されたことを悔いた杏子は、宏の腕の中で自らに銃弾を放った。

出演者

[編集]

主なキャスト

[編集]
野本宏 - 舘ひろし
主人公、29歳。弟分の命を奪った井戸垣らに復讐するべく、再び横浜に舞い戻って来た。
石川杏子 - 中島ゆたか
宏の恋人。しかし、宏がいない間に組織の首領・浜田の情婦になっていた。麻薬取引を止めるために4年前に八木らに宏の動きを密告した張本人。
門田圭介 - 内田良平
野本の服役時代の親友。小児マヒを患った息子が養護施設に入っているため、息子のために一生食うに困らない金を残して死にたいと言う。言動は軽薄だが、根は情に厚い男。井戸垣を道連れに転落死。
中尾光二 - 本間優二
門田の舎弟。半年前まで横浜地区の麻薬捜査官だったが、善意が裏目に出てクビになる。自らを裏切った警察に復讐するために、麻薬取引の情報を聞きつけ、野本らと行動をともにするが、八木に撃たれ、今際に金の3分の1を妻に届けてほしいと野本に言い遺す。
柴田加世 - 沢たまき
ホテル"クォーターマスター"の主人。
八木 - 山西道広[注 1]
井戸垣が率いるヤクザのひとり。
井戸垣謙三 - 今井健二
組織のボス。
浜田一郎 - 佐藤慶
組織の首領。4年の間に杏子の情夫となっていた。
王兆徳(オウ・チョウトク) - 草薙幸二郎
貨物船"上海丸"の事務長。井戸垣率いる組織と麻薬取引をしていた。
弁護士 - 江角英
野本の弁護人。野本が出所した時に登場。
矢沢 - 松田優作(特別出演)
バー"サンランプ"の客。かつて横浜で有名だったロック歌手だが、現在は麻薬中毒。バーでチップをマスターと宏に求めるが、宏のチップが少ないことから「ハマのミュージシャンなめんなよ・・」と言い放って帰っていく、つかみどころのない男。

その他キャスト

[編集]

スタッフ

[編集]

製作

[編集]

東映舘ひろしの売り出しを計画し[6][7]、「遊戯シリーズ」で松田優作をドル箱スターにした村川透監督に委託[6] 、舘のクールな男っぽさを押し出してアクションスターとしての大成を狙った[6]。松田も特別出演。公開前から「標的シリーズ」として1980年秋に第二弾の製作予定があり[6]、1980年暮れから角川映画で舘の主演作を作る計画も予定され[6]、松田と同じステップのスター路線を敷く構想があった(いずれも製作されず)[6]。舘もこの期待に応えるため、好評だった『西部警察』を降りて万全を期していた[6]

撮影

[編集]

横浜を中心にオール・ロケを敢行[1]。監督の村川はフィルム・ノワールをイメージしたと話している[1]

マスメディアに取り上げられたのは、当時野性的なルックスと抜群のプロポーションで『GORO』『週刊プレイボーイ』など男性誌のグラビアを席巻した沢田和美の映画初出演[1][8]。東映宣伝部が熱心に口説き、出演を承諾したもので[1]、セリフは「はい」「いいえ」など簡単なものばかりで僅か5カットだった[1]。沢田は「モデルの方を続けていきたいので」と話し、映画出演はこれが最初で最後とも噂されたが[1]、以降も多くの映画に出演し、ヌードもふんだんに披露した[8]

1980年3月16日クランクインで、1980年3月31日クランクアップという快テンポで撮影を終えた[1]

受賞歴

[編集]

同時上映

[編集]

※当初封切は1980年4月26日を予定していたが[1][4]岡田茂東映社長の肝煎り企画だった『甦れ魔女』と『ミスターどん兵衛[注 2]が失敗し[1]、急遽封切を一週間早め、1980年4月19日に公開が繰り上がった[1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ クレジットには「山西道宏」と表記
  2. ^ 1980年1月11日の東映記者会見では、大映受託配給作品『夜の診察室』『おさな妻』の二作品を一部地域で組み合わせると発表されていたが[4]、事情で二作品は中止になり、劇場により他二作品を変則的に組み合わせる形で興行が実施された。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k 「村川透監督『薔薇の標的』で女優・沢田和美デビュー! 『やはりモデルが本業』と、出演はこれが最後!?」『週刊明星』、集英社、1980年5月4日号、48-49頁。 
  2. ^ 薔薇の標的”. 日本映画製作者連盟. 2019年9月5日閲覧。
  3. ^ 薔薇の標的”. 日本映画製作者連盟. 2019年9月5日閲覧。
  4. ^ a b c 「東映、GWに『笑拳』『激走』 '80年上半期の邦洋ラインアップ発表」『映画時報』1980年1月号、映画時報社、19頁。 
  5. ^ 「映画界の動き 短信」『キネマ旬報』1980年3月下旬号、キネマ旬報社、170頁。 
  6. ^ a b c d e f g 河原一邦「邦画マンスリー 『影武者』延期で"空白の2週間"! 続くGWの話題作は?」『ロードショー』1980年5月号、集英社、238-239頁。 
  7. ^ 【今だから明かす あの映画のウラ舞台】スター編(中) 舘ひろし、売り出し秘話 協力的な柴田恭兵に脱帽 写真家・長濱治に相談 (1/2ページ)
  8. ^ a b 「悪魔の人質」U-NEXT

外部リンク

[編集]