蒲孚
かば まこと 蒲 孚 | |
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生誕 |
1888年2月17日 東京都 |
死没 | 1983年3月12日(95歳没) |
国籍 | 日本 |
職業 | 内務技師 |
代表作 | 『河川工学』1926年、『砂防工学』1937年 |
蒲 孚(かば まこと、1888年〈明治21年〉2月17日 - 1983年〈昭和58年〉3月12日)は、日本の内務技師。
東京帝国大学で林学士と工学士を取得、その後内務技師として、自らの実績をもとに我が国における近代工法によるコンクリート砂防堰堤(砂防ダム)の基礎を築くとともに治水砂防計画の体系化に貢献した人物である[1][2]。
人物
[編集]1888年(明治21年)2月17日、東京都に生まれる。1911年(明治44年)に東京帝国大学農科大学林学科を、1914年(大正3年)に東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、同年農商務省 (日本)に入省、1917年(大正6年)に同省を退職し、同年6月内務省東京土木出張所に移り、山梨県や栃木県の砂防工事に従事、1930年(昭和5年)に横浜土木出張所に転じ、1938年(昭和13年)には新潟土木出張所長(現在の国土交通省北陸地方整備局長)として転出、1942年(昭和17年)に内務省を退官した[3]。
在官中に、山梨県の富士川水系日川、御勅使川の砂防工事に関わった一人として、工事の概要を土木学会誌や自身の著書『砂防工学』(1937年)に著すなど、日本におけるコンクリート砂防堰堤の基礎をつくった人物としてその名を残している[4]。
また、栃木県の鬼怒川水系稲荷川(日光砂防)や関東大震災復旧砂防工事のうち神奈川県の酒匂川・早川 (神奈川県)を、横浜土木出張所管内では、静岡県の安倍川改修等に携わった。新潟土木出張所の所長時代は、富山県の常願寺川(立山砂防)・石川県の手取川(白山砂防)・長野県の信濃川水系(梓川砂防)・岐阜県の神通川(上宝砂防)・新潟県の魚野川(湯沢砂防)など、管内の砂防工事の監督指導を行った[5]。
計画や工事に関わった砂防堰堤のうち、本宮砂防堰堤(富山県)は国の重要文化財に指定され、勝沼堰堤(山梨県)、芦安堰堤(山梨県)、稲荷川砂防堰堤群(栃木県)、出山堰堤(神奈川県)、大源太川第一号堰堤(新潟県)は、国の登録有形文化財となっている[5]。
そのうち本宮砂防堰堤は、1928年(昭和3年)7月、蒲孚が富山県の常願寺川を視察した際に「常願寺川の砂防工事では、まず中流部の好地点に高い砂防堰堤を築き応急処置とし、次に下流部の改修、そして同時に上流部の砂防工事を実施すべきである」と述べたことに始まる。1934年(昭和9年)年の同川の水害を契機に、富山県が本宮砂防堰堤建設のための予算を計上、工事は内務省が受託し、1937年(昭和12年)に竣功した。当時、上流部では内務省により白岩砂防堰堤が建設中であり、下流部の改修事業は1936年(昭和11年)に始まった[6][7]。
1983年(昭和58年)3月、心不全のため逝去。享年95歳であった[5]。
略歴
[編集]- 1888年(明治21年) 東京に生まれる
- 1908年(明治41年) 第一高等学校第二部農科農学科卒業
- 1911年(明治44年) 東京帝国大学農科大学林学科卒業
- 1914年(大正 3年) 東京帝国大学工科大学土木工学科卒業
- 1914年(大正 3年) 農商務省山林局 入省
- 1915年(大正 4年) 農商務省山林局 山林技手
- 1916年(大正 5年) 農商務省東京大林區所 山林技手
- 1917年(大正 6年) 内務省東京土木出張所 勤務
- 1918年(大正 7年) 内務技師となる
- 1919年(大正 8年) 内務省東京第一土木出張所、東京第二土木出張所兼務 技師
- 1922年(大正11年) 内務省東京土木出張所 技師
- 1931年(昭和 6年) 内務省横浜土木出張所 技師
- 1939年(昭和13年) 内務省新潟土木出張所 所長
- 1942年(昭和17年) 内務省退官
- 1945年(昭和20年) 三菱地所株式会社嘱託
- 1948年(昭和23年) 日本測量(株)代表取締役社長
- 1962年(昭和37年) 日本測量(株)社長退任 相談役となる
- 1964年(昭和39年) 勲三等瑞宝章を受ける
- 1983年(昭和58年) 逝去
著作
[編集]- 『河川工學』日本工人倶楽部出版部、1926年
- 『河川工學』(改訂増補)日本工人倶楽部出版部、1930年
- 『砂防工學』工業圖書〈日本工學全書〉、1937年
- 『砂防工學』(再版)産業図書、1947年
- 『砂防工學』(増補再版)産業図書、1953年
- 「日川砂防工事」『土木学会誌 第八巻第五号』土木学会、1922年、961-975頁
- 「富士川支川御勅使川砂防工事」『土木学会誌 第十四巻第三号』土木学会、1928年、343-357頁
- 「鬼怒川支川大谷川小支稲荷川砂防工事」『土木学会誌 第十五巻第十二号』土木学会、1929年、891-913頁
脚注
[編集]- ^ 藤井肇男『土木人物事典』アテネ書房、2004年、102頁
- ^ 吉友嘉久子、白井芳樹『常願寺川治水叢書 暴れ川と生きる 砂防編』北陸地域づくり協会、2020年、86-87頁
- ^ 高橋透「東京都内、多摩川上流に残る内務省直轄施工による砂防堰堤群」『sabo Vol.118』砂防・地すべり技術センター、2015年、36-41頁
- ^ 日本砂防史編集委員『日本砂防史』全国治水砂防協会、1981年、518頁
- ^ a b c 柿徳市「砂防の大先輩 故蒲孚先生を称える」『砂防と治水第41号Vol.16,No.1』全国治水砂防協会、1983年、67-69頁
- ^ 白井芳樹、小川紀一朗、是松慧美「砂防技術者蒲孚が残した資料 絵葉書が語る昭和3年の立山砂防視察」『土木史研究講演集Vol.44』土木学会、2024年、213-218頁
- ^ 本宮砂防堰堤-砂防設備の紹介-国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所 2024年10月18日閲覧。
参考文献
[編集]- 五十年誌編集委員会編『護天涯』立山砂防工事事務所、1975年、534頁
- 富山学研究グループ編『富山の知的生産:先人に学ぶ情報発信』北日本新聞社、1993年、39-41頁
- 砂防フロンティア整備推進機構制作『芦安堰堤:日本で最初のコンクリート砂防堰堤』山梨県土木部砂防課、2003年、21-22頁
- 樋口輝久、三木美和、馬場俊介「近代日本におけるコンクリートダム技術の変遷―ダム技術者の発言から」『土木史研究講演集Vol.23』土木学会、2003年、251-262頁
- 小川紀一朗「富士川水系御勅使川における歴史的砂防施設」『土木史研究講演集Vol.27』土木学会、2007年、101-104頁
外部リンク
[編集]- 「本宮砂防堰堤 -日本最大級の貯砂量を有する砂防堰堤ー」国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所 2024年10月30日閲覧。
- 「特別展大正昭和の土木技術者-蒲孚ー」富山県立山カルデラ砂防博物館 2024年10月21日閲覧。
- 常願寺川砂防施設 本宮堰堤 文化遺産オンライン-文化庁 2024年10月18日閲覧。
- 砂防技術発展に貢献した内務技師 蒲孚の足跡を辿る-国土交通省関東地方整備局日光砂防事務所 2024年10月18日閲覧。