蒲原重雄
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蒲原 重雄(かんばら しげお、1898年3月12日 - 1932年10月16日)は日本の建築家。日本における表現主義建築の傑作とされる小菅刑務所(現東京拘置所)が代表作。
略歴
[編集]明治31年(1898年)、岡山市で旧佐賀藩の漢学者の次男として生まれる。岡山県立第一中学校(旧制)、第六高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学に進学。
大正11年(1922年)3月、東京帝国大学工学部建築学科卒業。卒業制作は「住宅」であった。同期には岸田日出刀、土浦亀城、田辺平学、長谷川輝雄などがいる。
同年4月に司法省会計課営繕係嘱託。営繕係技手を経て技師となる。
関東大震災で被災した小菅刑務所の建替えをはじめ、豊多摩刑務所の復旧、巣鴨・府中刑務所の設計に関わる。
法政大学第四校舎(六角校舎、1928年)[1]や北軽井沢に松室致学長が拓いた法政大学村の山荘群を設計した[2]。
昭和5年(1930年)ごろに結核にかかり軽井沢で療養。昭和7年(1932年)、結核のため死去。
小菅刑務所
[編集]蒲原は関東大震災で罹災した小菅刑務所の建替えを担当し、大正13年(1924年)に着工。すべて受刑者の労役により建設され、昭和4年(1929年)に落成式を迎えた。「行刑政策の新理想である教化主義を表現せん」としたもので、「モダン刑務所」と評された[3]。小菅刑務所はその後東京拘置所となり、ほとんどの施設は建替えられているが、管理棟は現存しており、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選出されている。
注釈
[編集]論文
[編集]- 行刑建築(「刑政」1932年に掲載)
参考文献
[編集]- 田辺平学「小菅刑務所見学記」(『建築と社会』1929.11)
- 砂川慎吾・山名善之「北軽井沢大学村の蒲原重雄設計による山荘の立面構成と敷地条件との連関性」(学術講演梗概集、2005)
- 新建築創刊40周年記念特集号、新建築社刊
- 村松貞次郎『日本近代建築の歴史』(NHKブックス、1977。岩波現代文庫、2005)
- 藤森照信『日本の近代建築(下)』(岩波新書、1993)