菅原是綱
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菅原 是綱(すがわら の これつな、長元3年(1030年) - 嘉承2年3月1日(1107年3月26日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族。大学頭・菅原定義の子。官位は正四位下・大学頭。菅原氏長者。高辻家の祖。
経歴
[編集]文章得業生を経て、白河院政期にかけて大学頭・文章博士などを歴任。この間、武蔵守・常陸介などの受領も兼ねた。位階は正四位下に至る。
官歴
[編集]- 時期不詳:見文章得業生正六位上美濃大掾[2]
- 康平4年(1061年) 3月3日:見相模権守[3]
- 承保2年(1075年) 5月14日:見武蔵守正五位下[4]
- 永保元年(1081年) 11月25日:見武蔵守[5]
- 寛治4年(1090年) 8月5日:見大学頭
- 寛治7年(1093年) 6月28日:見文章博士
- 嘉保2年(1095年) 4月5日:兼常陸介[6]
- 康和2年(1100年) 7月23日:見前常陸介従四位上[7]
- 時期不詳:正四位下
- 嘉承2年(1107年) 3月1日:卒去(正四位下)[8]
系譜
[編集]注記のないものは『系図纂要』による。