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菅原是綱

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菅原 是綱(すがわら の これつな、長元3年(1030年) - 嘉承2年3月1日1107年3月26日))は、平安時代中期から後期にかけての貴族大学頭菅原定義の子。官位正四位下大学頭菅原氏長者高辻家の祖。

経歴

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文章得業生を経て、白河院政期にかけて大学頭文章博士などを歴任。この間、武蔵守常陸介などの受領も兼ねた。位階正四位下に至る。

嘉承2年(1107年)3月1日卒去享年78[1]

官歴

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系譜

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注記のないものは『系図纂要』による。

  • 父:菅原定義
  • 母:藤原相任の娘
  • 妻:平義清の娘
    • 男子:菅原淳中
  • 生母不詳の子女
    • 男子:菅原清隆[9]
    • 男子:菅原宣忠
    • 男子:厳実
    • 男子:聖教
    • 女子:藤原俊信

脚注

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  1. ^ 『系図纂要』
  2. ^ 『続本朝文粋』第3
  3. ^ 『中右記部類紙背漢詩集』
  4. ^ 『朝野群載』第13
  5. ^ 『水左記』
  6. ^ 『中右記』
  7. ^ 『朝野群載』第9
  8. ^ 『中右記』嘉祥2年3月21日条
  9. ^ 『久松家譜』

参考文献

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  • 『日本人名大辞典』講談社、2001年
  • 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年
  • 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年