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荻外荘公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
荻外荘公園
荻外荘公園の位置(東京都区部内)
荻外荘公園
分類 区立公園
所在地
東京都杉並区荻窪2丁目43番36号
座標 北緯35度41分54.9秒 東経139度37分20.1秒 / 北緯35.698583度 東経139.622250度 / 35.698583; 139.622250座標: 北緯35度41分54.9秒 東経139度37分20.1秒 / 北緯35.698583度 東経139.622250度 / 35.698583; 139.622250
面積 6156.09m2(未整備箇所を含む)、開園面積は約2300m2[1]
前身 邸宅
開園 2015年平成27年)3月14日
運営者 杉並区
現況 2024年10月現在工事中で立ち入り不可(荻外荘の一部を再移築したら建物とともに公開する予定)
設備・遊具 なし
駐車場 なし
バリアフリー なし(トイレは車椅子対応)
アクセス 記事本文
事務所 杉並区南公園事務所
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荻外荘公園(てきがいそうこうえん)は、東京都杉並区荻窪にある近衛文麿の邸宅であった荻外荘(てきがいそう)の敷地を公園として整備した施設である。

歴史

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荻外荘
1937年(昭和12年)2月6日、組閣の大命を拝命後、荻外荘に詰めかけた記者団の質問に答える近衛(当時は貴族院議長)。「近衛人気」を反映して近衛への取材攻勢は並みのものではなかった。

旧邸宅は1927年(昭和2年)に伊東忠太の設計により大正天皇侍医入沢達吉の邸宅「楓荻凹處」(ふうてきおつしょ)として創建された[2]。南に斜面を持った高台に立地し、近くは善福寺川から遠くは富士山までの景勝を一望のもとに見渡せるこの別荘に惚れ込んだ近衛は、入沢を口説き落として1937年昭和12年)、これを購入した。

1938年には邸宅の北側に蔵と別棟が増築され、書斎と寝室は同年から1944年頃に改修を受けている[3]。近衛家には目白(現在の新宿区下落合)に本邸があり、荻外荘は別邸なのだが、近衛はこの荻外荘が殊の外気に入って、文化サロンとしても利用し[4]、一度ここに住み始めると本邸の方へは二度と戻らなかった[5][6]

郊外にあるものの、青梅街道に程近い上に国鉄中央本線の駅にも近いという便利な立地にある上、官邸の喧噪とはうってかわって静寂な荻外荘のたたずまいを、近衛は政治の場としても活用した。同1937年6月の第一次近衛内閣発足後は重要な話し合いや会議が開かれ、有名になった[7][8]。1940年には『政界往来』に「荻外莊清談」を連載している[9]

東亜新秩序」の建設を確認した1940年(昭和15年)7月19日の荻窪会談や、対米戦争の是非とその対応についてを協議した1941年(昭和16年)10月15日の荻外荘会談など[10][11]、時には定例会合の五相会議までをも荻外荘で開いており、日中戦争初期から第二次世界大戦前夜の重要な国策の多くがここで決定された。1941年(昭和16年)9月末に近衛から対米戦に対する日本海軍の見通しを訊かれた連合艦隊司令長官山本五十六が、「それは是非やれと言われれば初め半年や1年は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば、全く確信は持てぬ」という有名な回答で近衛を悩ませたのも、この荻外荘においてであった。

こうした変則的な政治手法から「荻外荘」の三文字が新聞の紙面に踊る日は多く、この私邸の名称は日本の隅々にまで知れ渡るようになった。後には吉田茂の「目黒の外務大臣公邸」、鳩山一郎の「音羽御殿」、田中角榮の「目白御殿」などがやはり同じように第二の官邸のような機能を持ったが、その先例はこの荻外荘に求めることができる[12][13]

日本の降伏後、1945年12月16日に近衛が自決したのも荻外荘[12]の書斎[14]であった。

荻外荘には近衛以外にも意外な住人がいたことが知られている。1940年(昭和15年)から近衛は自らのブレーンとして重用し始めた井上日召を同居人としてここに引っ越させている。井上は右翼団体血盟団」の創設者で、血盟団事件の首謀者として無期懲役判決を受けたが、この年の紀元二千六百年奉祝の特赦により服役8年で出獄したばかりだった。

名称

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名称の「荻外荘」は額面通りの「荻窪の外」で、特に故事成句に因むような深遠な意味はないといわれる。しかし近衛に頼まれてこれを撰名したのは有職故実に通じた西園寺公望なので、実のところは判然としない。

戦後

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荻窪一帯は空襲に遭わず、荻外荘も戦災を免れた。近衛の死後、主なき荻外荘を一時近衛家から借りて私邸代わりにしていたのが吉田茂である[15][16]。近衛とは個人的にも親しかった吉田はある日、なぜ荻外荘に住むことに決めたのかを来客から尋ねられ、平然と「ここにぼくが寝ていたらそのうち近衛が出てくるだろうと思ってね」と言ったという。

1960年(昭和35年)に荻窪会談が開かれた応接室を含む木造平屋建ての約半分202平方m2[17]、東京都豊島区巣鴨にある天理教東京教務支庁の敷地内へ移築された[18]

正面入り口から見た荻外荘(2016年)

保存活動

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永らく荻外荘に居住していた所有者で近衛文麿の次男である近衛通隆が2012年(平成24年)に死去すると、地元の町会長の連名で要望書が区に提出され、2013年2月、杉並区は荻外荘を買い取ることを明らかにした[19]。2014年に買い取りが行われ、敷地6071.69平方m2[20]と木造平屋の邸宅409平方m2を取得[17]、2015年3月に敷地の一部が荻外荘公園として整備・公開された[21]

2022年5月時点では、邸宅の建物の無い部分が芝生広場、遊歩道、水飲み場、手押しポンプ式井戸、トイレのみが整備された簡易な公園として整備されていた。芝生は邸宅にあったものではなく、邸宅の池のあった部分を整地の上移植されたものである。別途、邸宅跡地等は整備予定である(後述)[21]

復元工事中の荻外荘 (2024年10月)

全体整備の杉並区の基本方針としては、「屋敷林としての形態を残し、住宅都市・杉並の歴史を代表する良質な邸宅として後世に引き継ぐ」「歴史的・文化的価値を最大限活用するため、巣鴨に移築されている部分も含め荻窪会談の行われた時期を基本に当時の状態に復元するとともに、国の重要文化財指定を目指す」[21]などとされた。移築部分の購入資金や今後の復元は、ふるさと納税による寄付や[22][23][24]、ペーパークラフトなど荻外荘グッズの販売収益[14]などを充てる。

邸宅の部分の移築・復元整備も計画に含まれ、同基本方針には豊島区に移築した荻外荘の一部(東京寮)を元の位置に再移築し、荻窪会談が行われた客間などは展示スペースとして利用するとしている[21]。天理教東京教務支庁との交渉が2016年12月に基本合意に至ったため、当初、2017年度から復元工事を始めるとされた。現地で遺構を調査するとともに、1940年–1941年当時の状態を記録した写真や資料の所有者に協力を呼び掛けている[25][26]。杉並区は荻外荘の復元・活用のため、近衛家伝来の史料や文化財を管理する陽明文庫京都市)と協力の覚書を結んでいる[27]

豊島区に移築された玄関・応接間部分の解体工事は、2018年秋に着手すると発表され[17]、12月に解体工事終了の直前に見学会が行われた。

文化財

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2016年3月1日、「荻外荘(近衛文麿旧宅)」の名称で国の史跡に指定された[28][29][20][30]。記念の展覧会が杉並区立郷土博物館で開かれている[31]。杉並区は2017年2月、創建当時の平面図(昭和12年)と棟札等を「入澤達吉邸(楓荻荘・荻外荘)平面図・棟札(附入澤達吉邸留守居誌)」[32]として区の有形文化財に指定した(指定年度:平成28年度)[3][33]

展覧会

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杉並区立郷土博物館

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  • 2016年4月29日 - 5月29日:国史跡指定記念特別展「荻外荘」と近衞文麿[27][31]
  • 2018年5月26日 – 7月16日:【企画展】三人をつなぐ「荻外荘」(入沢達吉、伊東忠太、近衛文麿を軸に近衛家資料、創建時の図面など展示)[34][17]

開園時間

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  • 午前9時~午後5時 (2024年10月現在閉鎖中)

アクセス

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脚注

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  1. ^ 荻外荘 憩いの場に 近衛文麿の私邸 庭園を整備東京新聞 TOKYO Web(2015年3月13日)のインターネットアーカイブ
  2. ^ 伊東忠太 著「前入澤邸荻外莊」、伊東博士作品集刊行会 編『伊東忠太建築作品』城南書院、1941年、99-101頁。 
  3. ^ a b 杉並区のサイトに平面図がある。国指定史跡 荻外荘(近衞文麿旧宅)”. 杉並区. 2018年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月23日閲覧。
  4. ^ 細川護貞 (1953). “昭和十九年五月七日―六月二十四日 文化人、荻外荘に会談”. 『情報天皇に達せず―細川日記―』. 東京: 同光社磯部書房. pp. 189-241 
  5. ^ 近衛は長野県軽井沢町千葉県我孫子市神奈川県鎌倉市等にも別荘を所有していた。
  6. ^ 「「荻外荘」が語る歴史と近衛公爵未亡人」『週刊新潮』第20巻1 (979)、新潮社、168-170頁、ISSN 0488-7484 
  7. ^ 森泰樹『杉並風土記 上巻』1972年6月30日発行
  8. ^ 伊藤金次郎「荻外莊、大道無門」『裸像近衛文麿』新聞時代社、東京、1940年、236-238頁。 
  9. ^ 近衞文麿 (1940). “荻外莊清談”. 政界往来 = Political journal (政界往来社) 11 (1-8): 1_52-55; 2_52-55; 3_34-38; 4_34-37; 5_40-43; 7_66-68; 8_88-92. 
  10. ^ 「荻外荘 近衛首相、戦争への道へ」『歴史はここに始まる』毎日新聞社、1968年、245-248頁。 
  11. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部「荻外荘会談」『大本営海軍部大東亜戦争開戦経緯』朝雲新聞社、東京〈戦史叢書〉、1979年、501-506頁。 
  12. ^ a b “政治史の縮図荻外荘”. 読売新聞 [検閲ゲラ]. (1948年11月4日). 1948-11-04. 48-loc-2792c 
  13. ^ 岸道三伝記刊行会 [編]「荻外荘の別宴」『岸道三という男』1965年、267-275頁。 
  14. ^ a b 近衛文麿旧邸「荻外荘」グッズ収益で復元へ 杉並区が5種販売「建物の魅力に注目を」毎日新聞』朝刊2022年8月20日(東京面)2022年8月23日閲覧
  15. ^ 海野「ファイナンス・ダイジェスト」第2巻第12号、大蔵出版、1948年12月。 
  16. ^ 「荻外莊」『トラ大臣になるまで 余が半生の想ひ出』、163-168頁。 
  17. ^ a b c d 渡辺聖子 (2018年5月23日). “荻外荘を復元へ 近衛文麿元首相の私邸”. 東京新聞. オリジナルの2018年6月30日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180630134531/http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201805/CK2018052302000146.html 2022年10月1日閲覧。 
  18. ^ 森泰樹「近衞公と荻外荘」『杉並区史探訪』杉並郷土史会、東京、1974年、104-107頁。 
  19. ^ 荻外荘:近衛文麿元首相の旧邸、杉並区が31億円で取得 公園に活用へ」『毎日新聞』。オリジナルの2013年4月29日時点におけるアーカイブ。2013年2月14日閲覧。(Internet archive)
  20. ^ a b 名称:荻外荘(近衞文麿旧宅)”. 文化庁. 2018年5月23日閲覧。
  21. ^ a b c d 杉並区都市整備部まちづくり推進課 編『(仮称) 荻外荘公園基本構想』杉並区都市整備部まちづくり推進課、2015年3月。 
  22. ^ ふるさと納税を一緒に考えよう――「荻外荘」の復元・整備』。オリジナルの2018年5月23日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180523212851/http://www.city.suginami.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/037/511/07_furusatonouzei_tekigaiso.pdf2018年5月28日閲覧 
  23. ^ 「荻外荘」の復原・整備”. 杉並区. 2018年5月28日閲覧。
  24. ^ 杉並区. “ふるさとチョイス:杉並区:選べる使い道――昭和の歴史を後世に語り継ぐために(「荻外荘」復原・整備)”. トラストバンク. 2018年5月28日閲覧。
  25. ^ 読売新聞』朝刊2017年3月14日都民版「近衛文麿邸復元へ 杉並区 宣言の写真、資料募集」
  26. ^ 杉並区都市整備部まちづくり推進課 編『国指定史跡荻外荘保存活用計画 概要版』杉並区、2017年。 
  27. ^ a b 荻外荘の史跡指定記念特別展が始まります” (PDF). 杉並区広報課 (2016年4月28日). 2022年8月23日閲覧。
  28. ^ 平成28年3月1日文部科学省告示第26号
  29. ^ 荻外荘(近衞文麿旧宅)”. 国立国会図書館. 2018年5月23日閲覧。
  30. ^ 杉並区教育委員会 編『国指定史跡荻外荘 近衞文麿旧宅』46号、杉並区〈文化財シリーズ〉、2017年。 NCID BB23714834 注記:荻外荘訪問関係リスト参考文献・史料一覧: p135–138
  31. ^ a b 杉並区立郷土博物館 編『「荻外荘」と近衞文麿 国史跡指定記念特別展 展示図録』杉並区立郷土博物館、2016年。 
  32. ^ 入澤達吉邸(楓荻荘・荻外荘)平面図・棟札(附入澤達吉邸留守居誌)指定文化財(歴史資料)” (pdf). 東京都杉並区. 2018年5月24日閲覧。
  33. ^ 指定文化財 有形文化財――歴史資料・入澤達吉邸(楓荻荘・荻外荘)平面図・棟札(附入澤達吉邸留守居誌)”. 東京都杉並区教育委員会. 2018年5月24日閲覧。
  34. ^ 【過去の企画展】三人をつなぐ「荻外荘」平成30年5月26日~7月16日”. 杉並区. 2022年8月23日閲覧。

外部リンク

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