荻原雲来
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人物情報 | |
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生誕 |
1869年3月22日 日本和歌山県 |
死没 | 1937年12月20日 (68歳没) |
出身校 | 宗教大学・カイザー・ヴィルヘルム二世大学 |
学問 | |
研究分野 | 仏教学・東洋学 |
研究機関 | 宗教大学 |
荻原 雲来(おぎわら うんらい、明治2年2月10日(1869年3月22日) - 昭和12年(1937年)12月20日)は、和歌山県生まれの浄土宗の僧侶、仏教学者・サンスクリット学者。日本のサンスクリット語研究、サンスクリット文献に基づいた仏教研究の先駆者であり、大成者である。
経歴
[編集]1869年(明治2年)、和歌山県に生まれ、当時浄土宗の重鎮であった荻原雲台の養子となる。1896年(明治29年)、浄土宗学本校(のち真言宗豊山・智山派、天台宗と合同し宗教大学を経て現・大正大学)を優秀な成績で卒業。1898年(明治31年)よりドイツのカイザー・ヴィルヘルム二世大学に留学、サンスクリット語研究の泰斗エルンスト・ロイマンに師事する。1904年(明治37年)、ケンブリッジ大学図書館所蔵の貝葉本『瑜伽師地論菩薩地品』の校訂・研究にあたる。ストラスブール大学に学位論文を提出して学位を取得し、またケンブリッジ大学図書館所蔵貝葉本『瑜伽師地論菩薩地品』の公刊にあたっては、師であるエルンスト・ロイマンが書評をとり、荻原の名声は日本内外に轟いた。
帰国後は宗教大学教授・芝中学校校長・東京大学講師・大正大学教授を務めた。
著書
[編集]訳書
[編集]- 梵語入門 - 文法・文抄・字書(アー・エフ・ステンツラー著、エル・ピッシェル増訂、丙午出版社、1908年)
辞典
[編集]- 日本唯一の学術的な梵和辞書
文集
[編集]- 荻原雲来文集(荻原博士記念会、1938年 → 山喜房仏書林、1972年)
評伝
[編集]サンスクリット文
[編集]- Abhisamayālaṃkār'ālokā Prajñāpāramitāvyākhyā : the work of Haribhadra(『梵文現観荘厳論に見えたる般若波羅蜜多釈』、東洋文庫、1932年)
- 『現観荘厳論光明般若波羅蜜多釈 梵語総索引』山喜房仏書林、1998年。計良竜成・上田昇校訂
- Bodhisattvabhūmi : a statement of whole course of the Bodhisattva(『梵文菩薩地経』、東洋文庫、1936年)
- Sphuṭārthā abhidharmakoçavyākhyā : the work of Yaçomitra 1-7(『梵文称友造具舎論疏』、梵文倶舎論疏刊行會、1937年)
- Bodhisattvabhūmi : a statement of whole course of the Bodhisattva(『梵文瑜迦師地論』、1930年)
- Saddharmapuṇḍarīka-sūtram(『改訂梵文法華経』、土田知雄共著、聖語研究会、1934年)
論文
[編集]脚注
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