荒川雄太
西武での現役時代 | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都大田区 |
生年月日 | 1987年10月14日(37歳) |
身長 体重 |
182 cm 89 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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荒川 雄太(あらかわ ゆうた、1987年10月14日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]東京都大田区出身。幼なじみの友人に誘われ小学2年生時に地元少年軟式野球チームの西六ジャガーズに入団。恵まれた大柄な体格ながらも、当初は野球経験が乏しく外野手としてスタートしたが、地道な努力により小学3年生で上級生を押し退け捕手のレギュラーを獲得。その後は4番捕手として大活躍し、中心選手としてクラブ史上初優勝を含む多くの勝利をもたらした。中学時代にアジアAA選手権大会に日本代表として出場。その後日大高へ進学し、高校通算26本塁打を記録した[要出典]。
2005年の高校生ドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスより1巡目指名[注 1]を受け入団。同年オフにFA権を行使しシアトル・マリナーズへ移籍した城島健司の後継者として期待され、入団当時は「ポスト城島」と称された[要出典]。
現役時代
[編集]2008年のファーム日本選手権では、適時打とスクイズで2打点をあげる活躍を見せ、守備でも先発のルーキー岩嵜翔を好リードで1失点完投へと導き、優秀選手賞を受賞した[要出典]。
2009年シーズンはファームで40試合に出場するも打率.179と打撃面で課題を残し、2010年は怪我のため22試合の出場に留まり、打率も前年と同じく.179と低迷[1]、同年10月1日に戦力外通告を受けた。
その後、11月10日に開催された2010年度12球団合同トライアウト(第1回)に参加し[1]、打撃面では無安打に終わったもののリード面を評価され、11月11日に埼玉西武ライオンズが荒川を獲得することが公式発表され[2]、12月6日に入団会見が行われた[3]。この戦力外通告から西武との契約までの模様は2010年12月29日放送『プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達』において一部始終が放送された。
しかし、西武への移籍後も一度も一軍戦に出場することなく、2012年11月1日に現役引退を発表した[4]。
現役引退後
[編集]2013年からはブルペン捕手としてチームに残留[4]。ブルペン捕手以外にもファームマネジャー補佐やファーム用具補佐、人財開発スタッフを兼任した。
2022年10月28日、2023年から三軍バッテリーコーチを務めることが発表された。なお、ブルペン捕手も引き続き兼任する[5]。2024年からは、前述の職に加え、人財開発担当も兼務する[6]。2024年10月10日にコーチ契約が終了すると発表された[7]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 22(2006年 - 2010年)
- 63(2011年 - 2012年)
- 93(2013年 - 2019年)
- 103(2020年 - 2022年)
- 98(2023年 - 2024年)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b ““ドラ1捕手”が挑んだトライアウトに密着 鷹詞2010〜たかことば〜”. スポーツナビ (2010年11月10日). 2018年5月3日閲覧。
- ^ 『選手獲得について』(プレスリリース)埼玉西武ライオンズ、2010年11月11日 。2018年5月3日閲覧。
- ^ “【西武】荒川が入団会見、背番号63”. 日刊スポーツ. (2010年12月6日)
- ^ a b 『2013年度新スタッフについて』(プレスリリース)埼玉西武ライオンズ、2013年11月1日 。2018年5月3日閲覧。
- ^ “2023シーズン新任コーチ就任会見”. 埼玉西武ライオンズ (2022年11月2日). 2023年3月3日閲覧。
- ^ “2024年度 コーチングスタッフ決定”. 埼玉西武ライオンズ (2023年10月18日). 2023年10月18日閲覧。
- ^ “埼玉西武ライオンズ来季のコーチ契約について”. 埼玉西武ライオンズ公式サイト (2024年10月10日). 2024年10月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)