草体の近似による誤写
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草体の近似による誤写は、誤写の一種で、草体(草書体)で書かれた文字を、草体が近似する別の文字と取り違えたために生じた誤写を指す。
書誌学上の定着した用語はなく、「草体の近似から誤ったもの」[1]など、表記は様々である。また「近似」のほか、「類似」・「酷似」などの語が用いられることもある。
概説
[編集]誤写には様々な原因・要因が考えられるが、「草体で書かれた文字を、草体が近似する別の文字と取り違えて書き写す例」が少なからず認められる[2]。恐らくは、文脈上の意味を考えずに字形だけを拠りどころとして文字を認識(認知)した結果であろう[3]。さらには原文書の文字の癖[4]、筆写する側の言語運用能力(語彙数など)[5]、筆写した時の心理・身体状態[6]などが原因としてあげられる。
草体の近似による誤写には、異本との照合から確定できる場合、文脈上の意味・語法・平仄[7]などを手掛かりに推定できる場合があるが、いずれも見過ごされ、活字となって刊行されるケースも多い[8]。
例
[編集]草体の近似による誤写と確定できるもの、あるいは推定できるものには次のような例がある。いずれも誤写された文字は楷書である。[要出典]
- 例)逝→施、習→間、葢→益、徒→従、吉→彦、忠→左
脚注
[編集]- ^ 後藤昭雄「佚存平安朝詩注」『語文研究』66・67号(九州大学 国語国文学会、1989年)2頁。
- ^ WEBで検索しただけでも、柳川順子「『大江千里集』句題校勘記」(『広島女子大学国際文化学部紀要』12号、2004年)pp.71-84ほか多数の報告例がある。
- ^ 「視覚対象が背景から切り出されて、独立した閉じた存在を成すことを『局在する』という。図と地、二つの解釈が可能であっても、一方の解釈を選択した瞬間に他方の解釈は消滅してしまう(相互排他的)」。例えばある文字(図)を“益”と解釈した瞬間、地(墨付部分・虫損部分・料紙)は解釈の対象からはずされ、“葢”またはその他の漢字と解釈される可能性は完全に消滅する。「これは人間の視知覚において対象領域と背景領域の分化が重要な役割を果たすことを示しており、対象領域が切り出されると、それは即座に背景領域とは独立した閉じた存在となる。文字認知においても、ノイズに埋もれた文字を認知するとき、人間はそれが背景中のノイズであるとか、それとも文字を構成する一部であるとか、一部であるとしたら、どのような文字のどの部分に対応するものであるとか、という局在化を常に行っている。」 ※「 」内は、横山詔一・米田純子「ノイズに埋もれた漢字と仮名の認知」(『国立国語研究所報告』110 研究報告集16、国立国語研究所、1995年、102頁)による(WEBにて公開中)。なお、「ノイズ」とは、コミュニケーション学用語で、「メッセージの伝達を阻害する要因」を指す。
- ^ 「美々の底」(福岡県史編纂資料772、福岡県立図書館蔵)に「麻木櫓…合□用麻木ヲ蔵ス所」というくだりがある。いわゆる「御家流」ではなく、かなりくずされた文字で書かれている。伏字の部分は、「薬」の草体の、横画3本のうち1本を欠くものではあるが、これは「薬」の草体の癖字、あるいは「3本の横画を書写した」と錯誤した結果と判断できる。なぜなら「薬」という文字でなければ文脈上の整合性はありえないからである(麻木を炭化させたものを合薬=黒色火薬の原料としていた)。
- ^ 「葢(けだし)」の草体を、「益」と誤写したケースがあるが、筆写した人が(「蓋(けだし)」を知っていても)「葢」を知らなければ、正しく筆写することは不可能である。
- ^ 「人間の注意力には限界があり、どんなに注意深い慎重な人であっても、疲労や錯覚などでヒューマンエラーを起こす場合がある。 様々な職種において、経験を重ねたベテランやルーチンワークでも起こりえる事である。」(Wikipedia 「ヒューマンエラー」の項)
- ^ 後藤昭雄「佚存平安朝詩注」『語文研究』66・67号(九州大学 国語国文学会、1989年)2頁。
- ^ 例えばある文書(「長政公筑前御入国次第」福岡県史編纂資料405『福岡藩仰古秘笈』六、福岡県立図書館蔵)の翻刻本で「清水宗也」とされる人物は、異本から「徳永宗也」の誤写であることが確定できる。「清」と「徳」、「水」と「永」はいずれも草体が近似するほか(児玉幸多編『くずし字用例辞典 普及版』近藤出版社、昭和56年、333,566,569,599頁)、「清水」という姓が実際にある(『日本姓名よみふり辞典 姓の部』日外アソーシエーツ、1990年)ことも誤写の原因であろう。同じように、「二之丸」を「二三丸」と誤写(「某公事聞覚書案」三奈木黒田家文書、九州大学蔵)、それを翻刻したと考えられる例がある。「城郭内の場所」であることは文脈上明らかなので(『福岡県史』近世史料編 福岡藩初期(下)、西日本文化協会、1983年、244頁)、やはりこれも「二之丸」の誤写であろう。