茂木房五郎 (5代)
表示
五代 茂木 房五郎(ごだい もぎ ふさごろう、旧名・三千蔵、1893年(明治26年)2月28日[1] - 1973年(昭和48年)2月17日[2])は、日本の実業家、千葉県多額納税者[3][4][5][6][7]。野田醤油(現・キッコーマン)社長[8]。千秋社理事[5][7]。
人物
[編集]千葉県東葛飾郡野田町(現・千葉県野田市)出身。茂木房五郎の長男[7]。慶應義塾大学法学部中退[1][9](特選)[10]。1926年、家督を相続し前名三千蔵を改め襲名した[5][7]。銀行会社の重役であった[7]。野田醤油社長[8]、野田商誘銀行、野田醤油各取締役、柏屋商事、総武鉄道、満州野田醤油、野田運輸各監査役等をつとめた[7]。趣味は囲碁[7]。宗教は日蓮宗[7][9]。住所は千葉県野田市野田。
家族・親族
[編集]- 茂木家
茂木家は茂木七郎右衛門家の支流である[4][5]。1821年、茂木房五郎が茂木七郎右衛門家より分家、茂木房五郎家を興こし、醤油醸造を始める[11]。
- 父・四代房五郎(1870年 - ?、醤油醸造家)[8]
- 母・ひで(1873年 - ?、千葉、茂木順三郎の大叔母)[4][5][7]
- 弟
- 妹
- 妻・愛(1894年 - ?、千葉、藤崎勘三郎の長女)[4][5][7]
- 長男[7]
- 二男[7]
- 三男[7]
- 四男[7]
- 長女(中野孝三郎の妻)[1]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c 『大衆人事録 第22版 東日本篇』帝国秘密探偵社、1962年、p.674。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、1238頁。
- ^ 『日本紳士録 第35版附録』附録 全国多額納税者 千葉県24頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月21日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第9版』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e f 『人事興信録 第11版 下』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月21日閲覧。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』附録 全国多額納税者 千葉県25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年9月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『人事興信録 第12版 下』モ2頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月17日閲覧。
- ^ a b c 『豪閥 地方豪族のネットワーク』125-136頁。
- ^ a b 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』千葉33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月22日閲覧。
- ^ a b 『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』566頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年10月21日閲覧。
- ^ キッコーマン醤油(株)『キッコーマン醤油史』(1968.10)渋沢社史データベース。2022年8月21日閲覧。
- ^ a b 『慶応義塾総覧 昭和4年』108頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年2月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 慶応義塾編『慶応義塾総覧 昭和4年』慶応義塾、1929年。
- 慶応義塾編『慶応義塾塾員名簿 昭和17年版』慶応義塾、1924-1942年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 下』人事興信所、1937 - 1939年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 森川英正『日本財閥経営史 地方財閥』日本経済新聞社、1985年。
- 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。
関連項目
[編集]
|
|
|