コンテンツにスキップ

若宮 (海防艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若宮
基本情報
建造所 三井造船玉野造船所
運用者  大日本帝国海軍
艦種 海防艦
級名 占守型海防艦
建造費 5,112,000円(予算成立時の価格)
艦歴
計画 マル急計画
起工 1942年7月16日
進水 1943年4月19日
竣工 1943年8月10日
最期 1943年11月23日被雷沈没
除籍 1944年1月5日
要目(竣工時)
基準排水量 870トン
全長 77.70m
最大幅 9.10m
吃水 3.05m
主機 艦本式22号10型ディーゼルx2基
推進 2軸
出力 4,200hp
速力 19.7ノット
燃料 重油200トン
航続距離 16ノットで8,000海里
乗員 定員146名[注 1]
兵装 三年式45口径12センチ単装速射砲x3基
25mm連装機銃x2基
九四式爆雷投射機x1基
爆雷x36個
搭載艇 短艇x4隻
ソナー 九三式水中聴音機x1基
九三式水中探信儀x1基
テンプレートを表示

若宮(わかみや)は、日本海軍海防艦で、普遍的には択捉型海防艦の8番艦とされている[1]海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の12番艦。この名を持つ帝国海軍の艦船としては、水上機母艦若宮に続いて二代目[注 2][注 3]。艦名の由来は長崎県若宮島から。 若宮は三井造船玉野造船所において建造され、1943年(昭和18年)8月10日に竣工[1]。同月下旬、第一海上護衛隊に編入される[4]。同年11月23日、船団護衛中に米潜水艦ガジョンの魚雷攻撃をうけ、沈没した[5][6]

艦歴

[編集]

竣工まで

[編集]

マル急計画の海防艦甲、第310号艦型の8番艦、仮称艦名第317号艦として計画。1942年昭和17年)7月16日三井造船玉野造船所で起工。1943年(昭和18年)4月5日、若宮と命名。1943年(昭和18年)4月19日進水。7月10日、艤装員長に河原政頼少佐が着任。7月17日、艤装員事務所を設置。8月10日、竣工[7]。河原少佐(若宮艤装員長)は若宮海防艦長となる。同日附で、若宮艤装員事務所は撤去された。若宮の本籍は呉鎮守府と定められる[8]。呉鎮守府警備海防艦として呉防備戦隊に編入された[9]。呉海上防備部隊に編入[10]

船団護衛

[編集]

1943年8月11日、若宮は玉野からに移動。同地で建造時の不備が見つかったため、その修正作業を受ける。19日、呉から佐伯に移動。23日、佐伯から呉に移動。25日、若宮は呉防備戦隊から除かれ、駆逐艦春風が編入された[10][11]。若宮は南西方面艦隊隷下の第一海上護衛隊に編入される[4][注 4]。その後門司に移動し、31日に輸送船7隻からなる第192船団を特設砲艦北京丸(大連汽船、2,266トン)と共に護衛して門司を出港。出港直後、船団は2つに分割され、若宮は先行船団を護衛する。9月4日0700、船団は馬公に到着する。

9月5日1830、若宮は馬公を出港し、6日0940に基隆に到着。9日0900、マ04船団を護衛して基隆を出港。12日1400、船団は門司に到着。21日1600、特設運送船国島丸(飯野海運、4,083トン)他輸送船9隻からなる第199船団を護衛して門司を出港。26日1400、船団は高雄に到着。30日1715、若宮は高雄を出港して対潜掃討を行う。10月1日1850、高雄に到着。

10月3日1830、陸軍輸送船妙義丸(東亜海運、4,021トン)他輸送船3隻からなるC船団を護衛して高雄を出港。6日1550に船団はマニラに到着。8日0930、若宮はマニラを出港して対潜掃討を行う。10日1100、マニラに到着。12日0945、陸軍輸送船りま丸日本郵船、6,989トン)他輸送船2隻からなるD船団を護衛してマニラを出港。20日1100、船団は昭南に到着。22日1300、特設運送船隆興丸(太洋興業、2,831トン)他輸送船4隻からなる第630船団を護衛して昭南を出港。出港直後、船団は2つに分割され、若宮は先行船団を護衛する。25日1230、先行船団はサンジャックに到着。1330、若宮はサンジャックを出港し、1700にサイゴンに到着。26日、第630船団の残りがサンジャックに到着。27日1600、若宮はサイゴンを出港し、1900にサンジャックに到着。28日1600、1A型戦時標準貨物船旭山丸(宮地汽船、6,493トン)他輸送船12隻からなる第437船団を護衛してサンジャックを出港。29日1900、カムラン湾に到着。30日1500、カムラン湾を出港。出港直後、船団は2つに分割され、若宮は先行船団を護衛する。11月6日2000、船団は高雄に到着した。

11月9日0930、若宮は高雄を出港し対潜掃討を行う。1800、高雄に到着。11日0740、特設運送船北陸丸(大阪商船、8,365トン)他輸送船4隻からなるヒ14船団を護衛して高雄を出港。13日、大長塗山に到着。14日0930、大長塗山を出港。15日、海上護衛総司令部(司令長官及川古志郎海軍大将)の新編にともない[13]、第一海上護衛隊も同部隊の麾下となった[14][15]。16日、船団は門司に到着[12]

沈没

[編集]

1943年(昭和18年)11月20日1800、若宮は海軍配当船で応急タンカーの五洋丸(五洋商船、8,469トン)他輸送船2隻からなるヒ21船団を護衛して門司を出港した。23日0330、船団は米潜ガジョン(USS Gudgeon, SS-211)に発見される。ガジョンはまず若宮に向けて魚雷を6本発射。うち1本が若宮の左舷中央部電気室付近に命中し、若宮は2つに折れてわずか15秒で轟沈した。その様子は、「真珠湾攻撃で爆発を起こした米駆逐艦ショー(USS Shaw, DD-373) のようであった」と記録されている[16]。若宮を屠ったガジョンは、0338に貨客船熱河丸[17](大阪商船、6,784トン。内地~台湾連絡船、約1050名乗船)[注 5]の左舷石炭庫他に魚雷を2本命中させ、さらに逓信省標準TM型タンカー一洋丸(浅野物産、5,106トン)と五洋丸にも損傷を与えた[19]。0520、ガジョンは熱河丸に対して魚雷を3本発射し、右舷中央部他に魚雷2本を命中させて撃沈した[20][21]。若宮では157名が戦死し、海防艦長河原政頼少佐以下生存者4名が救助された[18][注 6]。 沈没地点は舟山島南方沖[22]北緯28度00分 東経122度09分 / 北緯28.000度 東経122.150度 / 28.000; 122.150[23]、もしくは北緯28度38分 東経122度05分 / 北緯28.633度 東経122.083度 / 28.633; 122.083[24]高松宮宣仁親王(大本営海軍部、海軍大佐、昭和天皇弟宮)は若宮の沈没状況を以下のように記録している[23]

○第一海上護衛隊(二四-〇七四七) ヒ二一船団(五洋丸、一洋丸、熱河丸、護衛艦「若宮」)、敵潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ、「若宮」0340/23、28°-0′N 122°-9′Eニテ、熱河丸 0430/23、28°-43′N 122°-07′Eニテ沈没セリ。五洋丸、一洋丸及上海方面特根部隊ニテ救難中。1600迠ニ判明セル救助、五洋丸380名、一洋丸121名、「笹島」100名、蛭子丸一名、計582名。
《 熱河丸ハ大連連絡航路カラ台湾航路ノ相ツグ沈没ノ代船ニ初メテノ航海ナリ。「若宮」ハ従来護衛上手ナリトノ話アリシモノ。熱河丸乗員ハ1050名、「若宮」120名位ナリ 》 — 高松宮宣仁親王日記 第七巻 129-130ページ(昭和18年11月23日記事より抜粋)

1944年(昭和19年)1月5日、除籍[12]

なお、若宮は日本海軍太平洋戦争で喪失した2番目の海防艦である[注 7]

艦長

[編集]
艤装員長
  1. 河原政頼 少佐:1943年7月10日[28] - 1943年8月10日
海防艦長
  1. 河原政頼 少佐:1943年8月10日[29] -

出典

[編集]

[編集]
  1. ^ これは法令上の定員数であり、特修兵、その他臨時増置された人員を含まない。
  2. ^ (昭和18年11月23日項目)(中略)熱河丸、「若宮」、潜水艦ノ雷撃ヲ受ケ沈没。二階朝餐室、火鉢出ス。[2]
  3. ^ 初代の若宮は1915年(大正4年)6月に二等海防艦に類別され、1920年(大正9年)4月に航空母艦(実質的には水上機母艦)に類別、1931年(昭和6年)4月1日に除籍された[3]
  4. ^ 『写真日本の軍艦7巻』233ページの海防艦行動年表など、一部資料では若宮の第一海上護衛隊編入日時を8月31日とする[12]
  5. ^ 木俣滋郎『日本海防艦戦史』41ページでは、熱河丸乗船者を「佐世保第一海兵団の253名、岩国航空隊157名、乗客985名」とする[18]
  6. ^ 木俣滋郎『日本海防艦戦史』288ページの喪失一覧表では、若宮戦死者を131名と記述する[5]
  7. ^ 1944年(昭和19年)2月末時点で、占守型と択捉型は合計28隻完成していたが、六連と若宮が撃沈されたことになる[25]。木俣滋郎著『日本海防艦戦史』41ページでは「日本新鋭海防艦の喪失第一号」を若宮とするが[18]、六連の方が先に沈んでいる[26](1943年9月2日)[27]

脚注

[編集]
  1. ^ a b 海防艦激闘記 2017, p. 228若宮(わかみや)
  2. ^ 高松宮日記7巻 1997, p. 123欄外解説で「若宮は水上機母艦」と記述するが、初代と二代目の誤記。
  3. ^ 写真日本の軍艦(4)空母(II) 1989, pp. 158a-159◇若宮◇
  4. ^ a b #S1805呉鎮日誌(6)pp.47-48(昭和18年8月、呉鎮守府経過概要)(8月25日項)〔 一、戰時編制中改定若宮ヲ第一海上護衛隊ニ、伊號第一二一潜水艦伊號第一二二潜水艦ヲ第一八潜水隊ニ、春風ヲ呉鎭部隊ニ編入(以下略)〕
  5. ^ a b 日本海防艦戦史 1994, p. 288a付表第二 海防艦喪失一覧表/若宮(18.11.23)
  6. ^ 戦史叢書46 1971, pp. 231–232(第一海上護衛隊、昭和17年11月~昭和18年11月)本期間における兵力増減状況
  7. ^ 写真日本の軍艦(7)重巡(III) 1990, p. 233a海防艦『占守型・擇捉型・御蔵型・鵜来型』行動年表 ◇若宮◇
  8. ^ #S1805呉鎮日誌(6)pp.41-42(昭和18年8月、呉鎮守府経過概要)(8月10日項)〔 一、戰時編制中改定伊勢ヲ呉鎭部隊ヨリ除キ第二戰隊ニ、若宮ヲ呉鎭部隊ニ編入/二、若宮ノ本籍ヲ呉鎭ト定メラル 〕
  9. ^ #S1805呉鎮日誌(6)p.7〔 (一)任務、編制、配備 機密呉鎭守府命令作第三六號ニ依リ實施中ノ處左ノ通一部改正實施ス(中略)十日附 伊勢ヲ呉鎭守府部隊ヨリ除キ若宮ヲ呉防備戰隊ニ編入 〕
  10. ^ a b #S1806呉防戦(4)p.6〔(二)我ガ軍ノ情況 備考|八月十日附 若宮呉海上防備部隊所属トナル(中略)八月二十五日附 若宮呉海上防備部隊ヨリ除ク/八月二十五日附 春風呉海上防備部隊所属トナル 〕
  11. ^ #S1805呉鎮日誌(6)p.8〔 (一)任務、編制、配備 機密呉鎭守府命令作第三六號ニ依リ實施中ノ處左ノ通一部改正實施ス(中略)二十五日附 伊一二一潜 伊一二二潜ヲ第一八潜水隊ニ編入、若宮ヲ呉防備戰隊ヨリ除キ春風ヲ呉防備戰隊ニ編入 〕
  12. ^ a b c 写真日本の軍艦(7)重巡(III) 1990, p. 233b.
  13. ^ 海軍護衛艦物語 2018, pp. 216–217"海上護衛総司令部"設立
  14. ^ #海護総司令部(1)p.2-3
  15. ^ 戦史叢書46 1971, p. 344.
  16. ^ #SS-211, USS GUDGEON, Part 2p.180
  17. ^ 昭和18.8.15~18.12.31 太平洋戦争経過概要その6(防衛省防衛研究所)18年11月16日~18年11月23日」 アジア歴史資料センター Ref.C16120637500 、p.33(昭和18年11月日)|23|0400|舟山島ノS70′ニテ若宮ノ護衛セルTgハ敵Sノ雷撃ヲ受ク|支那|若宮 1KEg 熱河丸(内台連絡船6783t 船客988名)沈没|
  18. ^ a b c 日本海防艦戦史 1994, p. 41.
  19. ^ The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter V: 1943” (英語). HyperWar. 2011年12月10日閲覧。
  20. ^ #SS-211, USS GUDGEON, Part 2p.182
  21. ^ #野間p.142
  22. ^ 昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和18年11月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120658700 、p.8(昭和18年11月)|23|0400|舟山島ノS70′ニテ若宮ノ護ヱセルTgハ敵(潜水艦)ノ雷撃ヲ受ク|(空欄)|若宮(1KEg) 熱河丸(内台連絡舩6783t 舩客988名)沈没|
  23. ^ a b 高松宮日記7巻 1997, pp. 129–130.
  24. ^ #一洋丸
  25. ^ 海軍護衛艦物語 2018, p. 233.
  26. ^ 日本海防艦戦史 1994, p. 288b付表第二 海防艦喪失一覧表/六連(18.9.2)
  27. ^ 昭和16.12~18.12 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の1(防衛省防衛研究所)昭和18年9月」 アジア歴史資料センター Ref.C16120658500 、p.2(昭和18年9月2日)海防艦六連ハ「トラック」北方ニテ船団護衛中雷撃ヲ受ク|(空欄)|沈没|
  28. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1169号 昭和18年7月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092100 
  29. ^ 海軍辞令公報(部内限)第1170号 昭和18年8月13日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092500 

参考文献

[編集]
  • 雨倉孝之『海軍護衛艦コンボイ物語』光人社、2009年2月。ISBN 978-4-7698-1417-7 
  • 雨倉孝之『海軍護衛艦コンボイ物語』光人社〈光人社NF文庫〉、2018年2月。ISBN 978-4-7698-3054-2 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第4巻、第一法規出版、1995年。
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0 
  • 隈部五夫ほか『海防艦激闘記 護衛艦艇の切り札として登場した精鋭たちの発達変遷の全貌と苛烈なる戦場の実相』潮書房光人社、2017年1月。ISBN 978-4-7698-1635-5 
    • (223-243頁)戦史研究家伊達久『日本海軍甲型海防艦戦歴一覧 占守型四隻、択捉型十四隻、御蔵型八隻、日振型九隻、鵜来型ニ十隻の航跡
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第七巻 昭和十八年十月一日~昭和十九年十二月三十一日』中央公論社、1997年7月。ISBN 4-12-403397-4 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室戦史叢書 海軍軍戦備〈1〉 昭和十六年十一月まで』朝雲新聞社、1969年。
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 海上護衛戦』 第46巻、朝雲新聞社、1971年5月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』 第4巻、光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 第7巻 重巡Ⅲ 最上・三隈・鈴谷・熊野・利根・筑摩・海防艦』 第7巻、光人社、1990年2月。ISBN 4-7698-0457-1 


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。Ref.C08030137300。 
    • 『武装商船警戒隊戦闘詳報 第二九六号』、51-52頁。Ref.C08030463900。 
    • 『昭和18年6月1日~昭和18年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030368400。 
    • 『昭和18年5月1日~昭和18年8月31日 呉鎮守府戦時日誌(6)』。Ref.C08030327900。 

外部リンク

[編集]