芳心院 (徳川家光側室)
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芳心院(ほうしんいん、慶長19年(1614年) - 元禄4年3月18日(1691年4月16日))は、江戸幕府第3代将軍・徳川家光の側室。名は琴。
生涯
[編集]慶長19年(1614年)、父親は特定されていないが、牛込榎町の徳円寺住職の娘として生まれたという説がある[1]。
寛永18年(1641年)[2]、大奥に勤め、側室として召されるが、徳川家光との間に子を産むことはなかった。慶安4年(1651年)に家光が亡くなった後は落飾して芳心院と号した。
元禄4年(1691年)、没した。享年78[3]。戒名は芳心院慈回清鏡大姉。墓所や葬地などの記録は残っていないが、家光の側室である定光院の葬地である済松寺にはかつて「芳心院」という塔頭があった。明治期に入ってから現在の万両塚(東京都大田区池上)に移転された。現在の調査ではこの場所が墓所であると考えられる[1]。