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花〜すべての人の心に花を〜

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

花〜すべての人の心に花を〜」(はな すべてのひとのこころにはなを)は、沖縄県出身の音楽家(歌手作詞家作曲家)、平和運動家、政治家である喜納昌吉の代表的な楽曲。

オリジナルの曲名は「すべての人の心に花を」だが、レコード会社がつけた「」という副題も浸透している。

1995年に石嶺聡子によるカバー(TBSテレビ・ワイドショー「スーパーワイド」のエンディングテーマ曲に採用)でヒットした。

概要

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「すべての人の心に花を」というフレーズは1964年東京五輪のアナウンサーの実況がもとになっている。

1964年東京オリンピックの閉会式では、整然たる入場行進がされた開会式とは逆に、選手たちは各国入り乱れ、肩を組み、肩車をし、踊り、笑う者あり、別れを惜しんで泣く者あり、互いに祝福し合いながら入場行進を行った。そこには国境や人種といった人類の垣根を越えた「平和の祭典」の姿がたち現れていたが、テレビの中継でこの模様を見た喜納は涙がこみ上げる感動を覚えたという。

実況のアナウンサーの、「泣いています……笑っています」という言葉とともに、この日の感銘が歳月の中で喜納の中で発酵して生まれたという[1]

オリジナル・バージョンは、1980年に喜納昌吉&チャンプルーズの2枚目のアルバム『BLOOD LINE』に収録。

シングル発売もされた。ここでは、喜納友子(昌吉の前妻)がボーカル、ゲストのライ・クーダーギタースライド・ギターマンドリンを演奏。

日本国内はもちろん、台湾タイベトナムアルゼンチンをはじめ世界60か国以上で、多数のアーティストにカバーされている。それらのカバーの中にはヒットしたものも多い。

タイでは1985年にバンド、カラワンがカバーしてヒットしたのをきっかけにアイドル歌手が相次ぎカバー、1987年には、マリ・バンドが8週連続ヒットチャート1位を独占する大ヒット。1991年のダヌポン・ケオカンのバージョンもヒット。

台湾の周華健(エミール・チョウ)が1993年にカバーした「花心」は全中華圏を席巻するメガヒットとなった。

日本国内では、1990年におおたか静流が歌うカバーがAXIACMに起用され話題になったり、1995年に石嶺聡子によるカバー(TBSテレビワイドショースーパーワイド」のエンディングテーマ曲に採用)がヒットしている。

1999年の読売新聞調べによると、全世界で3000万枚を売り上げたという[2]

2006年、文化庁により日本の歌百選に選定されている。

1996年6月に沖縄県名護市で発生した女子中学生拉致殺害事件を受け、被害者が在住していた地域の地元住民が1997年2月に結成したボランティア団体「子どもたちを守る会『花』」は、この楽曲の名前と、親子が互いを想う内容の民謡「てぃんさぐぬ花」が名前の由来となっている[3]。この会には喜納も賛同しており[4]、喜納は同会が主催するイベントに出席している[5][6][7]。また、同事件の私会社遺族が会長となって結成された沖縄県の犯罪被害者家族会「花の会」の名前もこの曲が由来である[8]

この曲をカバーしたアーティスト

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国内

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国外

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  • A.S.A.P.(米国)
  • イーリン(ベトナム)
  • エナータ(ジャマイカ)
  • ウヨンタナ(モンゴル)
  • 周華健エミール・チョウ)(台湾)
  • カラワン(タイ)
  • キムチー(ベトナム)
  • グラシェラ・スサーナ・ウィズ・サンドラ・アロンソ(アルゼンチン / 日本)
  • クリスティ・シュー・ウィズ・ロジック・システム
  • コッピョル(韓国)
  • ジェイク・シマブクロマンドリン(ハワイ:米国)
  • ジョウイ・イー・ティン(中国)
  • スーザン・オズボーン(米国)
  • ソッチーマ(カンボジア)
  • ダヌポン・ゲーオガン(タイ)
  • タリカ・サミー(米国 / マダガスカル)・ウィズ・ヘンリー・カイザー&デヴィッド・リンドレー
  • ティエリー・サウマ(フランス)
  • デティ・クルニア(インドネシア)
  • テレサ・テン(台湾)
  • テレサ・ブライト(ハワイ:米国)
  • トゥアンダット(ベトナム)
  • ネイティブ・タン(米国)
  • ヘイリー・ウェステンラ(ニュージーランド)
  • マリ・バンド(タイ)
  • ヤドランカ・ストヤコヴィッチ(ボスニア)
  • リチャード・クレイダーマン:ピアノ(フランス)
  • ロバート・ジェイ(ドイツ)
  • ワルジーナ(インドネシア)
  • ステイーブン・マ (香港)

脚注

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  1. ^ [読売新聞2013年6月6日「編集手帳」]
  2. ^ 喜納昌吉と笠木 透──個立無限
  3. ^ 『朝日新聞』1998年1月13日東京夕刊第二社会面12頁「絆(きずな)――子どもたちへ 父のつぶやき(7) 「きっと助けてあげる」」(朝日新聞東京本社) - 縮刷版620頁。
  4. ^ 沖縄タイムス』1997年2月12日朝刊18頁「【名護】ボランティア「花」結成/活動で防犯高揚に期待/名護」(沖縄タイムス社)
  5. ^ 『沖縄タイムス』1999年6月22日朝刊25頁「【名護】悲劇繰り返さない/中学生ら致殺害から3年/名護、天国の少女へ“花”」(沖縄タイムス社)
  6. ^ 『沖縄タイムス』2000年6月22日朝刊27頁「【名護】中学生拉致殺害から4年/子供が安全に暮らせる街に/名護で演奏会」(沖縄タイムス社)
  7. ^ 琉球新報』2000年6月22日夕刊3頁「【名護】」(琉球新報社)
  8. ^ 『沖縄タイムス』2003年12月12日朝刊31頁「【名護】犯罪被害者の会発足/会長に○○○さん/7家族で結成」(沖縄タイムス社)