花岡正庸
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花岡 正庸(はなおか まさつね、1883年10月24日 - 1953年2月15日[1])は、日本の酒造技術者。秋田清酒の父[2]、秋田の酒造りの父[3]、秋田吟醸酒の父[4]などとされる人物である。
経歴
[編集]長野県中野市出身[1][5]。1907年に大阪高等工業学校酒造科を卒業した[1][5]。卒業後、実家の家業であった酒造に従事したが火災のため実家が廃業した[1]。その後、1913年より丸亀税務監督局に勤務し、仙台税務監督局に転じ、1918年から秋田県醸造技師を兼任した[1][5]。
酵母の硝酸銀応用や酒の低音長期保存法[3]などの新技術を導入・普及させ、秋田における酒造業を牽引した[1]。
1922年に秋田県酒造組合連合会長の伊藤恭之助や県内の有力者、企業家とともに秋田銘醸を創立し顧問となった[2][5]。1925年に伊藤恭之助に請われ秋田県専任の醸造技師となった[1][2]。1927年に秋田県工業試験場醸造部(現在の秋田県総合食品研究センター醸造試験場)を設立し、初代場長を務めた[1]。1942年に退官し秋田銘醸の取締役を務めた[1]。
1953年に矢島町(現在の由利本荘市の一部)で死去した[5]。
人物
[編集]書家(斗南会所属)、俳人(石井露月門下、号は青陽)でもあった[1]。