船遊亭志ん橋
表示
船遊亭 志ん橋(せんゆうてい しんきょう)は、落語家の名跡。船遊亭 新橋としても名乗った。
- 船遊亭新橋 - 後∶二代目船遊亭扇橋
- 船遊亭新橋 - 二代目船遊亭扇橋の門で扇子から新橋となる。俗称を市五郎。
- 船遊亭志ん橋 - 後∶五代目船遊亭扇橋
- 船遊亭志ん橋 - (生没年不詳)四代目船遊亭扇橋の門で扇寿から仲蔵となって志ん橋となった。「神田の伯母さん」という渾名があった事から女性であると思われる。
- 船遊亭志ん橋 - 下項にて記述
- 船勇亭志ん橋 - 後∶三代目三遊亭小圓朝
本名 | 笹川 大助 |
---|---|
生年月日 | 1866年7月12日 |
没年月日 | 1919年4月26日(52歳没) |
師匠 | 四代目柳亭左楽 七代目桂文治 |
弟子 | 五代目土橋亭里う馬 |
名跡 | 1.真古亭真生 (1894年 - 1904年) 2.初代桂小文治 (1904年) 3.真古亭真生 (1904年 - 1906年) 4.船遊亭志ん橋 (1906年 - 1914年) 5.船遊亭哥楽[1] (1914年 - 1917年) 6.船遊亭志ん橋 (1917年 - 1919年) |
活動期間 | 1894年 - 1919年 |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | 宝集家金之助 |
船遊亭 志ん橋(せんゆうてい しんきょう、1866年7月12日 - 1919年4月26日)は、落語家。本名∶笹川 大助。
経歴
[編集]- 1894年に4代目柳亭左楽門下で真古亭真生。
- のちに上方で7代目桂文治の身内で再び真古亭真生となる。
- 1904年の初めに初代桂小文治となる。
- 同年中頃にはまた真古亭真生に復名して帰京。
- 1906年3月真打で志ん橋となった。
- 1914年8月船遊亭哥楽[1]と改名する。
- しかし「字数が悪い」と姓名判断で言われたため再度1917年頃志ん橋となった。
人物
[編集]大山巌に似ていたことから俗に「大山大将」という。芸は多芸で音曲、踊り、自作の阿呆陀羅経などがあった。晩年は噺に精進し同じネタを2度とやらないように勤めたという。
脚注
[編集]関連項目
[編集]参考資料
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X