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興道名継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
興道名継
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 貞観18年11月19日876年12月8日
官位 従五位上典薬頭
主君 文徳天皇清和天皇
氏族 門部→興道宿禰
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興道 名継(おきみち の なつぐ)は、平安時代初期から前期にかけての医師貴族氏姓は門部のち興道宿禰官位従五位上典薬頭

経歴

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文徳朝から清和朝にかけて長きに亘り侍医を務め皇室の診療を担当する。文徳朝では斉衡3年(856年)に門部連から興道宿禰に改姓し、天安2年(858年従五位下に叙せられている。

清和朝に入り、貞観2年(860年内位の従五位下に叙せられて医博士を、翌貞観3年(861年)からは内薬正を兼ねている。貞観12年(870年次侍従に任ぜられ、のち典薬頭に至る。

貞観18年(876年)11月19日卒去。最終官位は従五位上行典薬頭兼侍医

官歴

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六国史』による。

参考文献

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