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耶律道隠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

耶律道隠(やりつ どういん、生年不詳 - 統和元年1月17日[1]983年3月4日))は、(契丹)の皇族。晋王。は留隠。

経歴

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耶律突欲と高氏のあいだの子として生まれた。後唐で生まれ、父が李従珂のために殺害されたときはまだ幼く、洛陽の僧にかくまわれて養育された。このことにちなんで道隠と名づけられた。遼の太宗が後唐を滅ぼすと、遼に入国し、外羅山の地に居をかまえた。性格は沈着冷静で、文武に才能があって、当時の人に認められた。

保寧元年(969年)4月、蜀王に封じられた。上京留守となった。乾亨元年(979年)12月、南京留守に転じ、荊王に徙封された。

統和元年正月甲戌(983年3月4日)、病没した。晋王に追封された。

脚注

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  1. ^ 『遼史』巻10, 聖宗紀一 統和元年正月甲戌条による。

伝記資料

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