老津神社
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老津神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 愛知県豊橋市老津町字宮脇14 |
位置 | 北緯34度41分44秒 東経137度20分9秒 / 北緯34.69556度 東経137.33583度座標: 北緯34度41分44秒 東経137度20分9秒 / 北緯34.69556度 東経137.33583度 |
主祭神 | 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天之菩卑命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀理毘売命、市寸島比売命、田寸津比売命、天照皇大御神、素盞嗚命、大山祇神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 824年(天長元年) |
例祭 | 10月第1土曜日 |
地図 |
老津神社(おいつじんじゃ)は、愛知県豊橋市老津町に鎮座する神社である。
祭神
[編集]由緒
[編集]老津神社は、『三河国大津名蹤綜録』によれば824年(天長元年)に近江国より八王子権現を勧請して創建されたと伝わる。 987年(永延元年)には阿弥陀堂を、1172年(承安2年)には諸堂伽藍を建立したが、その後村内の安養寺境内に移した。
『皇大神宮建久己下古文書』によれば、940年(天慶3年)の勅願に依り三河国大津保(現在の老津)を伊勢二宮(外宮と内宮)の新しい封戸とすることを1185年(文治元年)付で諸国に官符を下したとあり、神領の管理者として1192年(建久3年)に伊勢国度会郡中村より中村治郎左衛門が補任してきた。
1601年(慶長6年)、城主戸田金左エ門より御供田10石、また伊奈忠次より黒印9石が寄せられた。1648年(慶安元年)以降は徳川将軍より朱印9石が明治維新まで寄せられた。
1869年(明治2年)、神仏分離令により八王子権現から八所社と改称、1874年(明治7年)村社に列し、1907年(明治40年)供進指定社となり、1910年(明治43年)郷内の三島社と神明社を合祀し、同年老津神社と改称する[1][2][3]。
境内社
[編集]- 稲荷社 - 倉稲魂命
- 天神社 - 菅原道真
- 鍬山社 - 伊佐波止美命、玉柱屋姫命
- 西宮社 - 蛭子命
- 山之神社 - 大山祇神
- 塞神社 - 八衢比古命、八衢比女命
- 熊野社 - 伊弉諾命、速玉之男命、事解男之命
- 岩谷社 - 磐裂命、根裂命
- 若宮社 - 罔象女命、大綿津見命
- 秋葉社 - 火遇突智神
- 今宮八幡社 - 戸田実興、戸田光忠
- 御霊社 - 戦没者の御霊
例祭
[編集]例祭は10月第1土曜日に斎行される。
交通
[編集]脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 老津神社 - 公式サイト
- 鈴木源一郎「渥美半島の御厨、御薗と八柱神社考」『愛知大学綜合郷土研究所紀要』第58巻、愛知大学綜合郷土研究所、2013年3月、145-150頁、CRID 1050845762648726272、ISSN 04008359、NAID 120005288956。