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羽入三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
羽入 三郎
生誕 1873年4月16日
日本の旗 日本 兵庫県
死没 (1944-02-23) 1944年2月23日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1896年 - 1923年
最終階級 陸軍少将
除隊後 国際反共連盟評議員
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羽入 三郎(はにゅう さぶろう、1873年明治6年)4月16日 - 1944年昭和19年)2月23日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。政治家。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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兵庫県多紀郡出身[1][2][3]。鳳鳴義塾(現・兵庫県立篠山鳳鳴高等学校)を経て、1896年(明治29年)陸軍士官学校第7期卒業[1][2][4]歩兵第6連隊附となり、日露戦争に出征[4]

戦後、名古屋陸軍幼年学校生徒監、近衛歩兵第2連隊大隊長を歴任[4]。ついで、1917年大正6年)8月に釧路連隊区司令官、1919年(大正8年)7月に陸軍歩兵大佐を経て、1920年(大正9年)8月に歩兵第58連隊長(第13師団、歩兵第26旅団)に補されシベリア出兵に従軍[1][2]。その後、1923年(大正12年)8月に陸軍少将に昇進と同時に待命[1][2]。翌月、予備役に編入した[1][2]

1929年(昭和4年)に大久保町会議員に、1936年(昭和11年)に淀橋区会議員に当選した[5]

その他、錦旗連盟会長、恢弘会理事、建武義会理事、兵役義務者並傷痍軍人優遇期成会、淀橋区傷痍軍人会相談役、淀橋区教育会理事[5]国際反共連盟評議員などを歴任した[6]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』584頁。
  2. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』131頁。
  3. ^ 篠山新聞社 1933, 255頁.
  4. ^ a b c 篠山新聞社 1933, 256頁.
  5. ^ a b 淀橋区政の展望 1937, p. 104.
  6. ^ 『赤軍将校陰謀事件の真相 : スターリン暗黒政治の曝露』付録8頁。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 山内封介『赤軍将校陰謀事件の真相 : スターリン暗黒政治の曝露』国際反共聯盟調査部、1937年。
  • 篠山新聞社『多紀、氷上人名鑑』篠山新聞社、1933年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1112553 
  • 内田助五郎『淀橋区勢年鑑 昭和12年版 淀橋区政の展望』秦嶺荘、1937年。