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綾瀬川山左エ門 (1876年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

綾瀬川 山左エ門(あやせがわ さんざえもん、1876年10月4日 - 1943年5月23日[1])は、山形県西村山郡河北町出身で藤島部屋朝日山部屋尾車部屋に所属した力士。主に大阪相撲で取った。本名は田宮 與惣吉(与惣二とも)。最高位関脇。176cm、101kg。

来歴

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1900年5月初土俵、恵まれた体格から有望視されたが、素行が悪く脱走し大阪相撲に加入した。1905年1月場所で新入幕。翌6月場所4日目には、前の場所まで3場所連続土付かずを続けていた大関大木戸の28連勝(1分1預)をとめる銀星をあげた。大木戸にはこの直後から19連勝(2分)があり、5場所連続での土付かずと47連勝を逃す黒星だったことになる。1906年5月場所、大木戸に負けただけの8勝1敗1休で優勝同点にあたる成績をあげ、翌場所で関脇に昇進。その後も三役から幕内上位の力を保った。

その後1910年6月場所で幕内5枚目格付出で東京相撲に帰参。だが、1勝も出来ずに途中休場。師匠から破門を言い渡された。その後は大道芸人になりインドに洋行したことがある。

主な成績

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  • 東京相撲 幕内通算1場所 0勝7敗3休

改名

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藤ノ谷→荒嶋→綾瀬川 [2]

出典

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010220061525/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19100603.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709