細野哲雄
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細野 哲雄(ほその てつお、1913年(大正2年)9月18日 - 1995年(平成7年)5月6日)は、日本の国文学者。信州大学名誉教授。
略歴
[編集]新潟県北蒲原郡乙村大字荒井浜(現 胎内市荒井浜)出身[1]。
1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1937年(昭和12年)3月に山形高等学校を卒業[注 1]、4月に東京帝国大学文学部国史学科に入学、1938年(昭和13年)4月に東京帝国大学文学部国文学科に入学、1941年(昭和16年)3月に卒業[2]。
1942年(昭和17年)1月に長野県師範学校教諭に就任、1943年(昭和18年)4月に長野師範学校助教授に就任、1950年(昭和25年)4月に信州大学助教授に就任、1967年(昭和42年)8月に信州大学教育学部教授に就任[3]。
1979年(昭和54年)4月に信州大学を定年退官、信州大学名誉教授の称号を受称[4]、清泉女学院短期大学教授に就任[5]。
1995年(平成7年)5月6日午後2時30分に長野市の自宅で脳腫瘍のため死去[6]。
栄典
[編集]家族・親戚
[編集]- 細野亀平 - 父、醤油醸造業[9]。
- 市島成一 - 義兄、姉の夫[10]、金市市島家5代目当主、財団法人 継志会 初代理事長、弁護士、検事、元東京高等検察庁検事長、元名古屋高等検察庁検事長、元福岡高等検察庁検事長、元最高検察庁刑事部長。
- 稲葉修 - 義従兄、市島成一の伯父(母の兄)の九男[11]、弁護士、政治家、元衆議院議員、第34代法務大臣、第94代文部大臣。
- 会津八一 - 義再従兄[12][注 2]、歌人、書家、美術史家、早稲田大学名誉教授、新潟市名誉市民。
- 市島春城 - 義四従甥[12]、角市市島家6代目当主、著述家、元読売新聞社主筆。
著書
[編集]- 『中世文学の研究 現代文学との関連を中心として』木藤才蔵・塚本康彦・奥田勲・安田章生・桐原徳重・福田秀一・三木紀人・栃木孝惟・手崎政男・小林智昭・池田重[共著]、東京大学中世文学研究会[編]、明治書院、1968年。
- 『鴨長明伝の周辺・方丈記』笠間書院〈笠間叢書 93〉、1978年。
校註書
[編集]- 『方丈記』高木市之助・久松潜一・山岸徳平・小島吉雄[監修]、朝日新聞社〈日本古典全書〉、1970年。
- 『方丈記』新装版、高木市之助・久松潜一・山岸徳平・小島吉雄[監修]、朝日新聞社〈日本古典選〉、1977年。
論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 『言語生活』第176号、52頁。『蒲原』第6号、11頁。
- ^ 『方丈記』奥付。『鴨長明伝の周辺・方丈記』奥付。
- ^ 『信州大学教育学部同窓会報』第10号、3面。『信州大学教育学部三十年誌』372頁。
- ^ 『現代 物故者事典 1994〜1996』502頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』438頁。
- ^ 『国語・国文学者名簿総覧』149頁。『全国短大・高専職員録 昭和57年版』847頁。
- ^ 『新潟日報』1995年5月8日付朝刊、23面。
- ^ 『中世文学』第51号、23頁。『言葉と文化』第9号、33頁。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』特別号外第17号、1頁、大蔵省印刷局、1986年11月5日。
- ^ 「醬油釀造家」『やまと錦』
- ^ 『新潟縣大地主所蔵資料 第二集 市島家文書』21頁。
- ^ 『蒲原』第74号、13頁。
- ^ a b 市島家分家略系図 (PDF) - 市島分家の人々 - 市島邸資料館リニューアルオープン展示 - 新発田市
- ^ 『新潟縣大地主所蔵資料 第二集 市島家文書』19・21頁。『蒲原』詩歌碑特輯号、8頁。
参考文献
[編集]- 「細野哲雄」『現代 物故者事典 1994〜1996』502頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、1997年。
- 「細野哲雄」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』438頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
- 「細野哲雄氏」『新潟日報』1995年5月8日付朝刊、23面、新潟日報社、1995年。
- 「細野哲雄先生 (PDF) 」「恩師の訃報」『信州大学教育学部同窓会報』第10号、3面、信州大学教育学部同窓会、1996年。
- 『信州大学教育学部三十年誌』信州大学教育学部三十年誌刊行会[編]、信州大学教育学部三十年誌刊行会、1982年。
- 『国語・国文学者名簿総覧』教育出版センター編集部[編]、教育出版センター、1981年。
- 『全国短大・高専職員録 昭和57年版』大学職員録刊行会[編]、廣潤社、1981年。
- 『方丈記』細野哲雄[校註]、高木市之助・久松潜一・山岸徳平・小島吉雄[監修]、朝日新聞社〈日本古典全書〉、1970年。
- 『鴨長明伝の周辺・方丈記』細野哲雄[著]、笠間書院〈笠間叢書 93〉、1978年。
- 「『方丈記』における老荘思想の影響」『中世文学』第51号、23-34頁、陸晩霞[著]、中世文学会、2006年。
- 「『方丈記』の白楽天詩文摂取に見られる中国隠逸思想の変容」『言葉と文化』第9号、33-51頁、田云明[著]、名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻、2008年。
- 「龜甲千醬油釀造元 細野龜平君 北蒲原郡乙村荒井濱」「醬油釀造家」『やまと錦』小日向忠造[編]、錦益社、1916年。
- 『新潟縣大地主所蔵資料 第二集 市島家文書』小村弌[編]、新潟県農地部農地開拓課、1960年。
- 「ふるさとのなまり」『言語生活』第176号、52-54頁、細野哲雄[著]、筑摩書房、1966年。
- 「ふるさとのなまり」『蒲原』第6号、11-14頁、細野哲雄[著]、継志会、1966年。
- 「詩歌碑建立」『蒲原』詩歌碑特輯号、6-13頁、市島成一[著]、継志会、1970年。
- 「従兄市島成一さんを偲ぶ」『蒲原』第74号、13-15頁、稲葉修[著]、継志会、1988年。
関連文献
[編集]- 「芭蕉と乙寺 『おくのほそ道』遺聞」『蒲原』第41号、35-39頁、細野哲雄[著]、継志会、1976年。
- 「鴎外と漱石との日記」『蒲原』第43号、18-23頁、細野哲雄[著]、継志会、1977年。
- 「誕生日」『蒲原』第50号、39-42頁、細野哲雄[著]、継志会、1979年。
- 「「渋柿会」の記」『蒲原』第66号、42-45頁、細野哲雄[著]、継志会、1984年。
- 「『頌春の歌』の詩人」『蒲原』第76号、18-22頁、細野哲雄[著]、継志会、1989年。
- 「青山渋柿会 (PDF) 」『青山同窓会報』第32号、3面、近藤圓[著]、青山同窓会、1981年。
- 「通行手形持参の老師あり (PDF) 」『青山同窓会報』第34号、6面、近藤圓[著]、青山同窓会、1982年。