細木原青起
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細木原 青起(ほそきばら せいき、1885年5月15日 - 1958年1月27日)は、日本の漫画家、挿絵画家、俳人。
経歴
[編集]岡山県出身。旧姓は鳥越、本名は辰江。日本美術院卒。絵は黒崎修斎に師事[1]。明治の中頃は京城で「京城日報」「朝鮮パック」などに鳥越静岐の名前で漫画を描く[2]。1909年(明治42年)に日本に帰国後は「東京パック」「東京日日新聞」「大阪朝日新聞」などに漫画やユーモア小説の挿絵を描いた[3]。俳句は「海紅」主宰の河東碧梧桐に師事、その関係で俳句誌「海紅」の挿絵も数多く担当し、碧梧桐や中塚一碧楼などの俳人たちを描いている。著書『日本漫画史』で、『鳥獣戯画』を描いたとされる鳥羽僧正が日本漫画の始祖だとした[4][5]。
著書
[編集]- 『娘ざかり』磯部甲陽堂・漫画双紙 1919
- 『日本漫画史』雄山閣 1924
- 『晴れ後曇り 細木原青起集』現代ユウモア全集刊行会 1929
- 『ふし穴から』中央美術社 1930
参考資料
[編集]脚注
[編集]- ^ 美術人名辞典
- ^ 20世紀日本人名事典
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 大塚英志・大澤信亮『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』角川書店、2005年、p.21
- ^ “先づ日本の漫畫家の嚆矢は彼の鳥羽僧正である”『日本漫畫史』雄山閣、1924年、p.8より