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細川広貞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
細川 広貞
時代 戦国時代江戸時代前期
生誕 不明
死没 寛永4年(1627年)11月16日
改名 広貞→国田
別名 五郎
戒名 芳泉院光甫宗恩
幕府 室町幕府江戸幕府
主君 渡辺山城守茂
氏族 細川淡路守護家佐々木源氏大原氏
父母 父:六郎某
祖父:細川晴広
広清[1]
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細川 広貞(ほそかわ ひろさだ)は、江戸時代から江戸時代前期の武士

家は細川淡路守護家であるが、細川氏ではなく佐々木氏大原氏の出身である[2]

概要

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「細川之系図」によると幕臣・細川晴広の孫で渡辺山城守茂に仕えたという[3]

子には細川広清、孫には細川広重がいる[4]

脚注

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  1. ^ 「細川之系図[1]
  2. ^ 山田 2009, pp. 96–104.
  3. ^ 「細川之系図[2]
  4. ^ 「細川之系図[3]

参考文献

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  • 山田康弘「細川幽斎の養父について」『日本歴史』第730号、吉川弘文館、2009年3月、96-104頁、CRID 1520290883881290624ISSN 0386-9164