紀最弟
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 延暦14年(795年) |
死没 | 仁寿2年2月27日(852年3月21日) |
官位 | 従五位下・右兵衛佐 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀木津魚 |
兄弟 | 百継、是継、継勝、最弟、乙魚、魚員 |
紀 最弟(き の いやおと)は、平安時代初期の貴族。右兵衛督・紀木津魚の十一男。官位は従五位下・右兵衛佐。
経歴
[編集]弘仁11年(820年)内膳典膳に任ぜられる。承和年間の前半以降は左衛門少/大尉と武官を務め、承和12年(845年)従五位下に叙爵し、翌承和13年(846年)右兵衛佐に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)仁明天皇の崩御後まもなく因幡権介を兼ね、仁寿2年(852年)正月には信濃介と、文徳朝では右兵衛佐を務める傍らで地方官を兼ねるが、同年2月27日卒去。享年58。最終官位は右兵衛佐兼信濃介従五位下。
人物
[編集]武芸の士で、腕力が人並外れて強い一方で、高いところに登ったり、水の深みを歩き回ったりするなど、身軽で敏捷であった。畿内の国々で盗賊をよく追捕し、ついには盗賊がいなくなってしまったという[1]。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 弘仁11年(820年) 日付不詳:内膳典膳
- 承和3年(836年) 正月:左衛門少尉
- 承和7年(840年) 日付不詳:左衛門大尉
- 時期不詳:正六位上
- 承和12年(845年) 正月7日:従五位下
- 承和13年(846年) 5月23日:右兵衛佐
- 嘉祥3年(850年) 4月2日:兼因幡権介
- 仁寿2年(852年) 正月15日:兼信濃介。2月27日:卒去(右兵衛佐兼信濃介従五位下)