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紀最弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
紀 最弟
時代 平安時代初期
生誕 延暦14年(795年
死没 仁寿2年2月27日852年3月21日
官位 従五位下右兵衛佐
主君 嵯峨天皇淳和天皇仁明天皇文徳天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀木津魚
兄弟 百継、是継、継勝、最弟乙魚、魚員
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紀 最弟(き の いやおと)は、平安時代初期の貴族右兵衛督紀木津魚の十一男。官位従五位下右兵衛佐

経歴

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弘仁11年(820年内膳典膳に任ぜられる。承和年間の前半以降は左衛門少/大尉と武官を務め、承和12年(845年従五位下叙爵し、翌承和13年(846年右兵衛佐に任ぜられる。

嘉祥3年(850年仁明天皇崩御後まもなく因幡権介を兼ね、仁寿2年(852年)正月には信濃介と、文徳朝では右兵衛佐を務める傍らで地方官を兼ねるが、同年2月27日卒去享年58。最終官位は右兵衛佐兼信濃介従五位下。

人物

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武芸の士で、腕力が人並外れて強い一方で、高いところに登ったり、水の深みを歩き回ったりするなど、身軽で敏捷であった。畿内の国々で盗賊をよく追捕し、ついには盗賊がいなくなってしまったという[1]

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 日本文徳天皇実録』仁寿2年2月27日条

参考文献

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