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粟屋 光若(あわや みつわか)は戦国時代の武将。若狭武田氏の家臣。若狭国遠敷郡山内城主。
若狭武田氏の侍大将、奉行人を務める[1]。父の家長は大永7年(1527年)の川勝寺口の戦いで主君の元光とともに出陣し、戦死したとされる。
天文年間には安賀荘の代官に任ぜられ、安賀里城を築城した[2]。その後は信豊の奏者としても仕えている。
同族に粟屋勝久がいるが、関係は明らかになってない。
- ^ 戦国人名事典
- ^ 『戦国の若狭――人と城 』大森宏