米田武八郎
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米田 武八郎(よねだ ぶはちろう、1852年10月13日(嘉永5年9月1日[1])- 1919年(大正8年)5月15日[2][3])は、明治から大正前期の銀行家、政治家。衆議院議員、広島県会議長。
経歴
[編集]備後国三谿郡、のちの広島県[3]三谿郡吉舎村(双三郡吉舎村[4]、吉舎町を経て現三次市)で、米田為三郎の長男として生れた[1]。国学、漢学を修めた[3][4]。1875年(明治8年)11月、家督を相続した[1]。
副戸長、郡書記、町村連合会議員、同議長、広島県会議員、同常置委員、同議長、双三郡会議員、同議長、同参事会員、徴兵参事員、地方衛生会委員、広島県農会議長、双三郡教育会長、所得調査会長などを務めた[2][3][4]。
1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙(広島県郡部、無所属)で当選し[2][5]、衆議院議員に1期在任した[3][4]。
また、1900年(明治33年)塚原牧場の設立に尽力し[2]、晩年に双三貯蓄銀行頭取を務めた[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。