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簡肇棟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
簡 肇棟
生年月日 (1955-08-18) 1955年8月18日(69歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国 台湾省台中市
出身校 中山医学院医学系
中興大学国際政治研究所碩士
前職 医師
所属政党 民主進歩党

中華民国の旗 第5・7期 立法委員
選挙区 台中県選挙区(2002年-2005年)
台中県第三選挙区(2010年-2011年)
当選回数 2回
在任期間 2002年2月1日 - 2005年1月31日
2010年1月18日 - 2011年9月13日

第3代 大里市長
当選回数 1回
在任期間 1998年3月1日 - 2002年2月1日
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簡 肇棟(かん ちょうとう、ジエン ジャオドン、1955年民国44年〉8月18日 - )は、中華民国台湾)の政治家、元内科医放射線科医民主進歩党所属の元立法委員[1]

経歴

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台中一中、中山医学院医学系卒。中興大学国際政治研究所修士。卒業後は中山医学院附属病院内科主治医、放射線科主任、大里菩提病院院長、医師公会全国連合会秘書長を歴任した[2]。1998年の大里市長選挙に42歳で初当選した。

2001年の第5回立法委員選挙では台中県選挙区から出馬し、初当選した。2004年の第6回立法委員選挙にも再選を目指して出馬したが、落選した。

2008年の第7回立法委員選挙では、選挙区の再編により台中県第三選挙区から出馬したが、国民党候補の江連福中国語版に敗れ再び落選した。

2009年10月9日、江連福が投票買収により選挙無効の判決が下され、翌年1月9日の補欠選挙で55%以上の得票率を獲得し当選した。

2011年9月11日深夜、簡は台中市大里区で車を運転中、路上に倒れていた飲酒男性をはねて死亡させ、そのまま車で逃走した[3]。9月13日に逮捕され、罪を自白した。簡は同日夜に記者会見を開き、被害者遺族に謝罪し立法委員を辞職した[4]。後はひき逃げによる過失致死などの罪で懲役1年3か月、執行猶予3年の判決を受けた[5]。現職立法委員の過失致死事件は台湾政界に衝撃を与えた。

選挙記録

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年度 選挙 選挙区 所属政党 得票数 得票率 当選 注釈
1998 第3回大里市長選挙 台中県大里市 民主進歩党 29,179 51.06%
2001 第5回立法委員選挙 台中県選挙区 38,791 5.86%
2004 第6回立法委員選挙 28,300 4.48%
2008 第7回立法委員選挙 台中県第三選挙区 61,927 45.04% 選挙区再編
2010 第7回立法委員補欠選挙 63,335 55.02%

出典

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  1. ^ 097第7屆立法委員-臺中縣第1選舉區選舉公報影像選舉公報”. 中央選舉委員會. 2024年5月20日閲覧。
  2. ^ 立法院 - 簡肇棟委員” (中国語). 立法院 (2013年7月23日). 2024年6月19日閲覧。
  3. ^ 簡肇棟涉駕車肇逃辭立委職 | 社會” (中国語). Newtalk新聞 (2011年9月13日). 2024年6月19日閲覧。
  4. ^ 涉肇逃 簡肇棟辭立委退選舉” (中国語). Yahoo News (2011年9月13日). 2024年6月19日閲覧。
  5. ^ 馬瑞君 (2013年5月24日). “前立委簡肇棟肇逃 男送醫不治 判刑1年3月”. 中時電子報. オリジナルの2019年6月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190619151215/https://www.chinatimes.com/newspapers/20130524000823-260106 2014年12月26日閲覧。 

外部リンク

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