篠瀬三十七
篠瀬 三十七 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 篠瀬 三十七 |
本名 | 篠瀬 晃 |
身長 | 170cm |
体重 | 100kg |
誕生日 | 1975年3月4日(49歳) |
出身地 | 東京都北区 |
所属 | 飛鳥 |
トレーナー |
永田克彦 桑原弘樹 TAJIRI |
デビュー | 2012年7月15日 |
引退 | 2019年3月18日 |
篠瀬 三十七(しのせ みとしち、1975年3月4日 - )は、日本の元男性プロレスラー。血液型A型。東京都北区出身。本名:篠瀬 晃(しのせ あきら)。
大手企業のサラリーマンを経て37歳という高齢でデビューした異色のプロレスラーでリングネームも年齢に因んでいる[1]。その経験を活かしてデビューしたWNCではフロント業務も兼務していた[1]。
経歴
[編集]早稲田大学法学部を卒業後、ヨドバシカメラと富士通の販売職を経て、派遣会社の管理職に勤務していた[2]。
2010年7月、永田克彦が主宰している格闘技ジム「レッスルウィン」に入門するも練習中に左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷のケガを負い、それが原因で8月に勤務先より解雇。
9月、江崎グリコのプロダクトマネージャーで全日本プロレスのコンディショニングコーチも務める桑原弘樹より、指導を受け肉体改造に着手。
同年、母が他界して、さらに娘の後押しもあり、幼少期から夢見ていたプロレスラーを目指すことに決める[2]。その後、ユニオンプロレス、プロレスリングZERO1の入門テストを受験するがいずれも不合格。
2011年2月、サラリーマンからプロレスラーに転じたTAJIRIが主催するSMASHトレーニングキャンプに参加。2012年に2度プロテストを受験するが続けて不合格。TAJIRI曰く「でんぐり返しもできなかった」[1]。
4月5日、TAJIRI以下元SMASH所属全選手、レフェリー、他の練習生と共に、新団体「Wrestling New Classic」に移籍[3]。
6月、新宿FACEにて児玉ユースケ(現:児玉裕輔)相手に3度目のプロテストを行い、合格を果たした[2]。
7月15日、後楽園ホール大会にて対児玉ユースケ戦でデビュー。
8月30日、後楽園大会に黒潮二郎から9戦目で初勝利を挙げる[4]。
12月27日、第1回「デーブ・フィンレー杯」で優勝。
2014年1月11日、シアター1010にて自主興行「感謝」を開催。
1月30日、裏方業務ももっとやりたいとWNCを退団して「ASUKA PROJECT」を構え、個人プロモーション業務をスタートさせる。WNCのフロントを離れるだけで選手としては限定参戦と言う形でWNCに上がりASUKA PROJECT主催興行にWNCの選手も参戦する[5]。
3月4日、天龍プロジェクト初参戦。蛟龍にもエントリー。しかし左肘の剥離骨折によりリーグ戦は途中辞退となる。
4月、ASUKA PROJECTは株式会社飛鳥として法人化されて代表取締役社長に就任した。
8月24日、KAIENTAI DOJO初参戦。TKPガーデンシティ千葉にて洞口義浩&日向小陽の元WNCトリオとして、リッキー・フジ&NASUバンデラス&バンビと対戦、しかし、洞口がリッキーのハードロックにギブアップしてしまう[6]。
9月28日、ガンバレ☆プロレス初参戦。西調布格闘技アリーナにて木藤裕次との元WNC軍として大家健&浪口修組と対戦するが、木藤がフォールされ敗れる[7]。
10月26日、「ASUKA PROJECT vol.7」にて「ASUKA PROJECT王座争奪トーナメント」決勝戦でウルフ智也を破り優勝。
11月3日、K-DOJO後楽園ホール大会にて本田アユムにASUKA PROJECT選手権の初防衛戦を行い、王座の防衛に成功[8]。
2015年3月22日、横浜にぎわい座大会にてウルフ智也に敗北して王座を手放した。
2019年3月18日、脳腫瘍を患っていることが判明し療養のため、後楽園ホール大会を最後に引退してASUKA PROJECTを解散した。
9月26日、篠瀬が代表を務める株式会社飛鳥を設立。主催興行「飛鳥プロレス」が新宿FACEで旗揚げ戦を開催。
2020年9月24日、持病である脳腫瘍が肥大したため、9月30日の新宿FACE大会をもって「飛鳥プロレス」を休止。新型コロナウイルス感染防止も兼ねて、現状と回復を見て復活を予定している。
2022年6月26日、アイスリボンに入団した長女のしのせ愛梨紗がデビュー[9]。
得意技
[編集]入場曲
[編集]- 37のテーマ
タイトル歴
[編集]- デーブ・フィンレー杯優勝
- ASUKA PROJECT王座
飛鳥
[編集]種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒114-0021 東京都北区岸町1-2-9 ハウズM1 |
設立 | 2014年4月29日 |
業種 | サービス業 |
事業内容 |
プロレス興行 関連企画の運営 |
代表者 | 代表取締役社長 篠瀬晃 |
関係する人物 | 篠瀬三十七(創業者) |
飛鳥(あすか)は、日本の会社。かつて東京都を中心に活動していたプロレス団体「ASUKA PROJECT(アスカ・プロジェクト)」、プロレスプロモーション「飛鳥プロレス(あすかプロレス)」の運営を行っていた。
会社名の由来
[編集]歴史
[編集]ASUKA PROJECT
[編集]- 2014年1月30日、篠瀬が設立。
- 3月23日、BASEMENT MONSTARで飛鳥の主催興行「ASUKA PROJECT」を開催。
- 6月22日、ASUKA PROJECTを団体化してBASEMENT MONSTARで旗揚げ戦を開催。
- 2019年3月18日、篠瀬が脳腫瘍を患っていることが判明して療養により、後楽園ホール大会を最後に解散。
飛鳥プロレス
[編集]タイトル
[編集]- ASUKA PROJECT王座
- WNC王座
最終所属選手
[編集]歴代所属選手
[編集]男子選手
[編集]女子選手
[編集]- 小林香萌(プロレスリングWAVE兼任所属)
脚注
[編集]- ^ a b c TAJIRI (2012年6月29日). “37歳のデビュー戦、その名は…篠瀬三十七(みとしち)!!”. 2012年10月27日閲覧。
- ^ a b c “早大卒元富士通マンがレスラー転身”. デイリースポーツ. (2012年6月28日) 2012年10月27日閲覧。
- ^ TAJIRI新団体発表「若手を海外に」 - 日刊スポーツ・2012年4月6日
- ^ “早大卒37歳脱サラ戦士・篠瀬が初勝利”. デイリースポーツ. (2012年8月31日) 2012年10月27日閲覧。
- ^ 篠瀬がWNCから独立し、新事務所をスタート
- ^ CLUB-K SUPER in TKPガーデンシティ千葉 KAIENTAI DOJO 2014年8月24日
- ^ 【西調布リポート】「プロレスキャノンボールにガンバレ☆プロレスで出たいんです!」今成の涙の訴えに号泣の大家は…/10・17蕨で大家vs浪口一騎打ち、パワー・オブ・ドリームスvs三富&河村のノーDQマッチ決定! 倖田、木藤、香港国際警察マンも参戦!! 株式会社DDTプロレスリング 2014年9月28日
- ^ CLUB-K SUPER in 後楽園ホール KAIENTAI DOJO 2014年11月3日
- ^ “https://twitter.com/iceribbon_jp/status/1537997636891840512”. Twitter. 2022年6月18日閲覧。
外部リンク
[編集]- WNCプロレスラーデビュー37歳の挑戦
- 篠瀬三十七 (@a_shinose) - X(旧Twitter)