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等彌神社

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等彌神社

等彌神社 上津尾社
所在地 奈良県桜井市桜井1176
位置 北緯34度30分23.3秒 東経135度51分14.3秒 / 北緯34.506472度 東経135.853972度 / 34.506472; 135.853972 (等彌神社)座標: 北緯34度30分23.3秒 東経135度51分14.3秒 / 北緯34.506472度 東経135.853972度 / 34.506472; 135.853972 (等彌神社)
主祭神 上津尾社:
大日霊貴命
下津尾社右殿(八幡社):
磐余明神品陀和気命
下津尾社左殿(春日社):
高皇産霊神天児屋根命 [1]
社格 式内社(小)
県社
創建 不詳
本殿の様式 一間社流造檜皮葺
別名 能登宮
例祭 5月5日
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等彌神社(とみじんじゃ)は、奈良県桜井市にある神社式内社(小)で旧社格は県社。『延喜式神名帳』に掲載されている大和国城上郡等彌神社に比定されている。明治時代までは能登宮と呼ばれていた。

歴史

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創建年代は不詳であるが、社伝によると当社は古より鳥見山に鎮座していたとされる。鳥見山は初代天皇である神武天皇が、即位後の神武天皇4年の春2月に皇祖神及び天津神を祀った場所である霊畤(まつりにわ)と伝えられる[2] 。又即位後初めて皇祖天神を祀ったという日本書紀の記述から大嘗会の起源であり、初の舞台ともされる。

本社にあたる上津尾社の祭神は大日霊貴命とされるが、饒速日命とする説も存在する。

平安時代には式内社に列せられたが、天永3年(1112年)、山崩れにより社殿を現在地に移している。

1940年昭和15年)、村社から県社に列格した。

昭和30年代には桜井市護国神社が創建された。

境内には万葉歌碑・句碑・歌碑が13基存在している。

当社の八咫烏は人の形をしているのが特色である。

祭神

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境内

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アクセス

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脚注

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  1. ^ 等彌の10社”. 2018年9月7日閲覧。
  2. ^ 日本書紀』、巻第三

外部リンク

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