笹川久吾
笹川 久吾(ささがわ きゅうご、1894年(明治27年)9月5日 - 1968年(昭和43年)5月16日)は、日本の医師、生理学者。医学博士。日本鍼灸学会初代会長、元日本電子顕微鏡学会顧問。日本体力医学会名誉会員、京都大学名誉教授。
略歴
[編集]新潟県西蒲原郡金巻村大字大野町(現 新潟市西区大野町)出身[1][2]。1914年(大正3年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第四高等学校を卒業[注 1]、1923年(大正12年)6月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。
1925年(大正14年)6月に京都帝国大学医学部生理学第二講座(担任:石川日出鶴丸教授)助手に就任[注 2]、1928年(昭和3年)11月に大阪高等医学専門学校教授に就任[注 3]、1929年(昭和4年)6月に京都帝国大学から医学博士号を取得。
1940年(昭和15年)1月に京都帝国大学医学部生理学第二講座第2代教授に就任[注 4][注 5]、1948年(昭和23年)1月に日本鍼灸学会初代会長に就任[4][注 6]、1952年(昭和27年)1月から1957年(昭和32年)まで中谷義雄[注 7]を指導。
1957年(昭和32年)3月に京都大学を定年退官[3][注 8]、1959年(昭和34年)4月に大阪医科大学医学部生理学教室教授に就任、1960年(昭和35年)6月に日本良導絡学会初代会長に就任[6][注 6]。
1968年(昭和43年)5月16日午前7時18分に京都大学医学部附属病院で急性肺水腫のため死去[7][注 9]。
日本の医用電子工学の先駆者で、理化学研究所の渡辺俊平とともにオシロスコープを製作し、日本で最初に神経電流を記録した[9]。
スポーツ医学の基礎の構築[10][11]、超音波の生理学的研究[10][12][13][14][15]、医学生物学用の電子顕微鏡の開発[10][11][12][13][14][16][17][注 10]などに取り組んだほか、鍼灸を近代医学に導入した[4][11][12][13][15][16][19]。
栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)11月10日 - 紀元二千六百年祝典記念章[20]
- 1967年(昭和42年) 9月10日 - 聖ジョン騎士団ナイト勲章[3]
- 1968年(昭和43年)5月16日 - 従三位[21]・勲三等瑞宝章[22]
著書
[編集]- 『受驗参考 消化器系統ノ解剖ト組織 誰ニモ分ル檢鏡ノ手引』阿部敏雄[共著]、国民生理学研究会、1925年。
- 『保健體育槪論』三浦運一・川畑愛義・庄司光・森脇正夫・荻原郡次・藤原元典・田村喜弘・丹生治夫・黒丸正四郎・高木公三郎[共著]、蘭書房、1951年。
編書
[編集]- 『電子顯微鏡』本田書店、1951年。
校閲書
[編集]論文
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 1915年(大正4年)9月に第四高等学校に入学、第2年次に原級留置。
- ^ 大日本武徳会武道専門学校講師(解剖生理)を兼任[1][2]。
- ^ 1928年(昭和3年)12月から京都帝国大学医学部生理学第二講座講師を兼任[3]。
- ^ 1940年(昭和15年)4月から大阪高等医学専門学校講師を兼任[3]。
- ^ 三重県立医学専門学校講師と岐阜県立女子医学専門学校講師を兼任。
- ^ a b 1968年(昭和43年)5月16日に死去するまで在任[5]。
- ^ 良導絡の発見者。
- ^ 1966年(昭和41年)11月に京都大学名誉教授の称号を受称[3]。
- ^ 『日本生理学雑誌』第30巻第6号の418頁では心筋梗塞とある[8]。
- ^ 1940年(昭和15年)末に完成[18]。
出典
[編集]- ^ a b 『黒埼町史 通史編 付録別編』87頁。
- ^ a b 『黑埼讀本』182頁。『黑埼讀本』199頁。
- ^ a b c d e 「御略歴」『笹川久吾教授指導研究論文業績集』前付。
- ^ a b 『日本良導絡自律神経雑誌』第23巻第6号、176頁。
- ^ 設立経緯 愛知地方会 一般社団法人 生体制御学会
- ^ 日本良導絡学会(設立~分立前) | 日本良導絡自律神経学会
- ^ 『新潟日報』1968年5月17日付朝刊、14面。
- ^ 『日本生理学雑誌』第30巻第6号、418頁。
- ^ 『顕微鏡』第41巻、48頁。
- ^ a b c 『自律神経雑誌』第15巻第6号、18頁。
- ^ a b c 『自律神経雑誌』第15巻第6号、20頁。
- ^ a b c 『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』285頁。
- ^ a b c 『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』357頁。
- ^ a b 『日本良導絡自律神経雑誌』第23巻第6号、175頁。
- ^ a b 『日本人名大辞典』850頁。
- ^ a b 『越佐人物誌 上巻』446頁。
- ^ 『顕微鏡』第41巻、48-49頁。
- ^ 『顕微鏡』第41巻、49頁。
- ^ 『自律神経雑誌』第15巻第6号、18-19頁。『20世紀日本人名事典 あ〜せ』1145頁。
- ^ 「辭令二」『官報』第4491号付録、6頁、内閣印刷局、1941年12月26日。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第12445号、13頁、大蔵省印刷局、1968年6月11日。
- ^ 「叙位・叙勲」『官報』第12444号、24頁、大蔵省印刷局、1968年6月10日。
参考文献
[編集]- 「笹川久吾」『日本近現代 医学人名事典 1868-2011』285頁、泉孝英[編]、医学書院、2012年。
- 「笹川久吾」『事典 日本の科学者 科学技術を築いた5000人』357頁、板倉聖宣[監修]、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2014年。
- 「笹川久吾」『20世紀日本人名事典 あ〜せ』1145頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2004年。
- 「笹川久吾」『日本人名大辞典』850頁、上田正昭・西澤潤一・平山郁夫・三浦朱門[監修]、講談社、2001年。
- 「笹川久吾」『越佐人物誌 上巻』446頁、牧田利平[編]、野島出版、1972年。
- 「笹川久吾」『黒埼町史 通史編 付録別編』87頁、黒埼町[編]、黒埼町、2000年。
- 「笹川久吾」『黑埼讀本』182頁、黒埼村教員会[編]、黒埼村教員会、1937年。
- 「笹川久吾」『黑埼讀本』199頁、黒埼村教員会[編]、黒埼村教員会、1938年。
- 「笹川久吾氏」『新潟日報』1968年5月17日付朝刊、14面、新潟日報社、1968年。
- 「笹川会長追悼特輯」『自律神経雑誌』第15巻第6号、16-24頁、藤井秀二・吉田寿三郎・高島文一・丹生治夫・間中喜雄・稲垣篤一・昆健一郎[著]、日本鍼灸学会、1968年。
- 「中谷義雄博士と良導絡」『日本良導絡自律神経雑誌』第23巻第6号、175-178頁、田村喜弘[著]、日本良導絡自律神経学会、1978年。
- 「本会特別会員 笹川久吾君」『日本生理学雑誌』第30巻第6号、418頁、日本生理学会、1968年。
- 「京都大学医学部生理学教室における電子顕微鏡の開発史 笹川久吾・東昇両先生の貢献」『日本生理学雑誌』第55巻第7号、293-302頁、田代裕[著]、日本生理学会、1993年。
- 「電子顕微鏡に支えられた小胞体研究の50年 (1950-2000年) 黎明期を中心に」『顕微鏡』第41巻、48-52頁、田代裕[著]、日本顕微鏡学会、2006年。
- 『笹川久吾教授指導研究論文業績集 一周忌追悼記念』大阪医科大学第二生理学教室、1969年。
関連文献
[編集]- 「創刊の言葉」『自律神經雜誌』第1巻第1号、3頁、笹川久吾[著]、日本鍼灸学会、1948年。
- 「良導絡発刊の辞」『良導絡』第1号、1頁、笹川久吾[著]、日本良導絡学会、1960年。
- 「初代会長故笹川久吾教授を想う」『日本良導絡自律神経雑誌』第19巻第6号、116頁、小林良英[著]、日本良導絡自律神経学会、1974年。
- 「良導絡の発生とその背景 (1)」『日本良導絡自律神経学会雑誌』第36巻第9号、229-233頁、編集部[編]、日本良導絡自律神経学会、1991年。
- 「兵頭先生と良導絡 (1)」『日本良導絡自律神経学会雑誌』第41巻第9号、198-225頁、編集部[編]、日本良導絡自律神経学会、1996年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 笹川久吾 - 20世紀日本人名事典 - コトバンク
- 笹川久吾 - デジタル版 日本人名大辞典+Plus - コトバンク
学職 | ||
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先代 設立 |
日本鍼灸学会会長 初代:1948年 - 1968年 |
次代 加藤幹夫 |
先代 設立 |
日本良導絡学会会長 初代:1960年 - 1968年 |
次代 野津謙 |
前回 久野寧 伊藤龍 |
日本生理学会総会当番幹事 第32回:1955年 同職:大谷卓造 |
次回 林香苗 福原武 |
前回 安田守雄 |
日本体力医学会大会会長 第8回:1955年 |
次回 水町四郎 |