第9独立自動車化歩兵大隊 (ウクライナ陸軍)
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第9独立自動車化歩兵大隊 9-й окремий мотопіхотний батальйон | |
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創設 | 2014年5月21日 |
所属政体 | ウクライナ |
所属組織 | ウクライナ陸軍 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | 自動車化歩兵 |
兵種/任務 | 国土防衛 |
人員 | 423人[1] |
所在地 | オデッサ州コディマ |
愛称 | ヴィーンヌィツャ |
上級単位 | 第59独立自動車化歩兵旅団 |
担当地域 | オデッサ州 |
戦歴 |
ドンバス戦争 ロシアのウクライナ侵攻 |
指揮官 | セルヒイ・コテンコ大佐 † |
第9独立自動車化歩兵大隊(だい9どくりつじどうしゃかほへいだいたい、ウクライナ語: 9-й окремий мотопіхотний батальйон)は、ウクライナ陸軍の大隊のひとつ。第59独立自動車化歩兵旅団隷下。
概要
[編集]ドンバス戦争
[編集]ウクライナ領土防衛大隊
[編集]2014年5月21日、ドンバス戦争の影響に伴い、義勇軍ウクライナ領土防衛大隊の第9ヴィーンヌィツャ領土防衛大隊として、ヴィーンヌィツャ州の行政支援を受け、ヴィーンヌィツャで創設された[1]。
2014年6月から、ドンバス戦争に投入され、東部ドネツィク州の検問所に配備された。
ウクライナ陸軍
[編集]2014年10月、ウクライナ陸軍に編入し、ジトーミル州駐屯の第30独立機械化旅団隷下に配属され、第9独立自動車化歩兵大隊に改編した[1]。
2014年12月8日、新編されたヴィーンヌィツャ州駐屯の第59独立自動車化歩兵旅団隷下に転属した[2]。
ロシアのウクライナ侵攻
[編集]南部ヘルソンの戦い
[編集]→「ヘルソンの戦い」も参照
2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻当日はクリミア自治共和国と国境を接する南部ヘルソン州オレシュキーで軍事演習を行っており、旅団の半数が首都キーウ防衛の増援で招集されていたため、ロシア連邦軍とは5倍の戦力差があり、多くの戦車と装甲戦闘車両が破壊され大損害を受けたが、残存した戦車と砲兵部隊で全滅する前に包囲網を突破し、ドニエプル川を渡河して南部ムィコラーイウ州ムィコラーイウまで撤退した[3][4]。
南部ザポリージャの戦い
[編集]→「ザポリージャの戦い」も参照
2022年3月、南部ザポリージャ州ザポリージャの前線に配置され、司令官のセルヒイ・コテンコ大佐が戦死した[5][6]。
2022年5月、ヴィーンヌィツャ市はコテンコ大佐の栄誉を称え、クトゥーゾフ通りを「コテンコ通り」に改称した[6]。
編制
[編集]- 大隊本部(コディマ)
- 第1中隊
- 第2中隊
- 第3中隊
- 迫撃砲中隊
- 対空砲小隊
- 偵察小隊
- 工兵小隊
- 後方支援隊
出典
[編集]- ^ a b c Окремі мотопіхотні батальйони (раніше батальйони територіальної оборони) Ukrainian Military Pages
- ^ Інтерв’ю з заступником командира 59 мотопіхотної бригади ЗС України Ukrainian Military Pages
- ^ Proud Band of Ukrainian Troops Holds Russian Assault at Bay — for Now ニューヨーク・タイムズ
- ^ 家族は倒れたウクライナの擁護者を悼む キーウ・インディペンデント
- ^ Serhiy KotenkoとOlga Svirgunの2人の軍人が最後の旅に出る 20minut.ua
- ^ a b Пам’ять про братів Котенків із Вінниччини, які загинули в боях проти рашистів, увіковічнили в назві вулиці та провулку ヴィーンヌィツャ市議会