第6通信大隊
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第6通信大隊 | |
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創設 | 1962年(昭和37年)8月15日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 大隊 |
兵科 | システム通信科 |
所在地 | 山形県 東根市 |
編成地 | 神町 |
上級単位 | 第6師団 |
担当地域 | 山形県 |
第6通信大隊(だいろくつうしんだいたい、JGSDF 6th Signal Battalion )は、山形県東根市の神町駐屯地に駐屯する、第6師団隷下のシステム通信科部隊である。大隊長は師団司令部の通信課長を兼任している。
沿革
[編集]第6通信隊
- 1954年(昭和29年)10月15日:第6管区隊編成に伴い、第6通信隊として編成。
第6通信大隊
- 1962年(昭和37年)8月15日:第6管区隊の第6師団への改編により、第6通信大隊に改編。
- 2006年(平成18年)3月27日:後方支援体制変換に伴い、整備部門を第6後方支援連隊第1整備大隊通信電子整備隊へ移管。
- (時期不明):師団通信システムを配備。
- 2018年(平成30年):野外通信システムを配備。
部隊編成
[編集]- 第6通信大隊本部
- 第6通信大隊本部付隊「6通-本」
- 第1通信中隊「6通-1」
- 第2通信中隊「6通-2」
整備支援部隊
[編集]- 第6後方支援連隊第1整備大隊通信電子整備隊「6後支-1整-通」(神町駐屯地):2006年(平成18年)3月27日から
主要幹部
[編集]官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第6通信大隊長 | 2等陸佐 | 阿比留幸文 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 前職 | 後職 |
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矢島源太郎 | 1954年10月 - 1955年 | 3月陸上幕僚監部通信課 | ||
三上憲次 | 1955年 | 3月 - 1957年 8月通信学校 | ||
菅野六郎 | 1957年 | 8月 - 1959年 8月通信補給処 | ||
竹内吉治 | 1959年 | 8月 - 1961年12月幹部学校 | ||
渡辺弘 | 1961年12月 - 1965年 | 3月通信学校 | ||
赤塚善之助 | 1965年 | 3月 - 1967年 3月通信学校 | ||
佐藤輝男 | 1967年 | 3月 - 1969年 3月通信学校 | ||
濱中十三雄 | 1969年 | 3月 - 1972年 7月東北方面通信群 | ||
平野芳信 | 1972年 | 7月 - 1974年 7月西部方面通信群 | ||
杉本泰隆 | 1974年 | 7月 - 1976年 3月通信補給処 | ||
鎌田義伸 | 1976年 | 3月 - 1978年 7月陸上幕僚監部防衛部 | ||
川崎浅夫 | 1978年 | 8月 - 1980年 3月陸上幕僚監部装備部 | ||
宮本芳昌 | 1980年 | 3月 - 1982年 8月中部方面通信群長 | ||
許斐泰圭 | 1982年 | 8月 - 1985年 3月|||
猪狩正道 | 1985年 | 3月 - 1987年 3月通信保全監査隊長 | ||
重藤馨 | 1987年 | 3月 - 1989年 3月東部方面通信群長 | ||
川合正俊 | 1989年 | 3月 - 1991年 3月東北方面通信群長、開発実験団長 | ||
川瀬昌俊 | 東部方面通信群長 | |||
河本宏章 | 自衛隊和歌山地方協力本部長 | |||
堀江祐一 | 2004年 | 8月 1日 - 2005年 7月31日陸上自衛隊高等工科学校長 | ||
小松広志 | 2005年 | 8月 1日 - 2007年 3月22日|||
末田毅 | 2007年 | 3月23日 - 2009年 3月23日東部方面通信群長 | ||
小原誠也 | 2009年 | 3月24日 -|||
阿比留幸文 |
主要装備
[編集]- 師団通信システム
- 野外通信システム
- 高機動車
- 衛星単一通信可搬局装置 JMRC-C4
- 衛星単一通信携帯局装置 JPRC-C1
- 1/2tトラック / 73式小型トラック
- 1 1/2tトラック / 73式中型トラック
- 3 1/2tトラック / 73式大型トラック
- 12.7mm重機関銃M2
- 89式5.56mm小銃
- 9mm拳銃
出典
[編集]- 防衛省人事発令(2012年及び2013年)