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第1次ロッキンガム侯爵内閣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第1次ロッキンガム侯爵内閣
 グレートブリテン王国 第16代内閣
1765年 - 1766年
ロッキンガム侯爵、1766年。
成立年月日1765年7月13日
終了年月日1766年7月30日
組織
国王ジョージ3世
首相ロッキンガム侯爵
総閣僚数12人
与党ロッキンガム派英語版
議会における地位多数与党英語版
野党グレンヴィル派英語版
詳細
議会任期第12期グレートブリテン議会
前内閣グレンヴィル内閣
次内閣チャタム伯爵内閣

第1次ロッキンガム侯爵内閣(だいいちじロッキンガムこうしゃくないかく、英語: First Rockingham ministry)は1765年から1766年まで続いた、ロッキンガム侯爵を首相とするイギリスの内閣。内閣は主にロッキンガム侯爵の支持者であるロッキンガム派英語版で構成され、最も影響力の大きい閣僚は王璽尚書を務める元首相ニューカッスル公爵だった。閣僚のほぼ全員がジョッキークラブの会員であり、ロッキンガム侯爵自身も主要なパトロンの1人だった。しかし、ロッキンガム侯爵は外交については無知であり、ヨーロッパにおけるイギリスの孤立を食い止めることができなかった[1]

第1次ロッキンガム侯爵内閣は1766年に倒れ、大ピット(後のチャタム伯爵)を首相とするチャタム伯爵内閣が成立した。1782年にもロッキンガム侯爵を首相とする内閣が成立したため、1765年から1766年まで続いたこの内閣は第1次ロッキンガム侯爵内閣と呼ばれた。

内閣

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役職 肖像 名前 在任 所属政党
第一大蔵卿
貴族院院内総務
ロッキンガム侯爵 1765年7月13日 - 1766年7月30日 ホイッグ党
大法官 ノーティントン伯爵 1761年1月16日 - 1766年7月30日 ホイッグ党
枢密院議長 ウィンチルシー伯爵 1765年7月12日 - 1766年7月30日 ホイッグ党
王璽尚書 ニューカッスル公爵 1765年 - 1766年 ホイッグ党
財務大臣 ウィリアム・ダウズウェル 1765年7月16日 - 1766年8月2日 ホイッグ党
北部担当国務大臣 グラフトン公爵 1765年7月12日 - 1766年5月14日 ホイッグ党
ヘンリー・シーモア・コンウェイ 1766年5月23日 - 1768年1月20日 ホイッグ党
南部担当国務大臣 ヘンリー・シーモア・コンウェイ 1765年7月12日 - 1766年5月23日 ホイッグ党
リッチモンド公爵 1766年5月23日 - 1766年7月29日 ホイッグ党
庶民院院内総務 ヘンリー・シーモア・コンウェイ 1765年7月 - 1768年10月20日 ホイッグ党
海軍大臣 エグモント伯爵英語版 1763年 - 1766年 ホイッグ党
補給庁長官英語版 グランビー侯爵英語版 1763年 - 1770年 無所属
無任所大臣 カンバーランド公爵殿下 1765年 無所属

内閣改造

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  • 1765年10月:無任所大臣カンバーランド公爵が死去した。
  • 1766年5月:北部担当国務大臣グラフトン公爵が辞任した。南部担当国務大臣ヘンリー・シーモア・コンウェイが北部担当国務大臣に転じ、リッチモンド公爵が南部担当国務大臣に任命された。

閣外大臣

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脚注

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  1. ^ Simms 2008, p. 520.

参考文献

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  • Browning, Reed (1975). The Duke of Newcastle. Yale University Press. ISBN 978-0-300-01746-5 
  • Cook, Chris; Stevenson, John (28 February 1980). British Historical Facts: 1760–1830. Palgrave Macmillan UK. ISBN 978-0-333-21512-8 
  • Hibbert, Christopher (1999). George III: A Personal History. Penguin Books. ISBN 978-0-14-025737-3 
  • Simms, Brendan (2008). Three Victories and a Defeat: The Rise and Fall of the First British Empire. Penguin Books. ISBN 978-0-14-028984-8 
先代
グレンヴィル内閣
グレートブリテン王国の内閣
1765年 - 1766年
次代
チャタム伯爵内閣