竹 (樅型駆逐艦)
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竹 | |
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基本情報 | |
建造所 | 川崎重工業神戸造船所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
駆逐艦 哨戒艇 |
級名 |
樅型駆逐艦 第三十一号型哨戒艇 |
建造費 | 1,390,814円(予算成立時の価格) |
艦歴 | |
計画 | 1917年度計画(八四艦隊案)[1] |
起工 | 1918年12月2日[1] |
進水 | 1919年8月26日[1] |
竣工 | 1919年12月25日[1] |
最期 | 1975年撤去 |
除籍 | 1940年2月1日[1] |
その後 |
1940年2月1日舞鶴海兵団練習船[1] 1944年2月10日雑役船編入、練習船指定、機関学校附属[1] 1948年解体[1] 船体は秋田県秋田港の防波堤 |
要目 | |
基準排水量 | 公表値 770トン |
常備排水量 | 850.00トン |
全長 | 290 ft 0 in (88.39 m) |
水線長 | 280 ft 0 in (85.34 m) |
垂線間長 | 275 ft 0 in (83.82 m) |
最大幅 | 26 ft 0 in (7.92 m)または7.93m |
深さ | 16 ft 3 in (4.95 m) |
吃水 | 8 ft 0 in (2.44 m) |
ボイラー | ロ号艦本式缶(重油専焼) 3基 |
主機 | ブラウン・カーチス式オールギアードタービン(高低圧)x2基[2] |
推進 |
2軸 x 400rpm 直径 8 ft 6 in (2.59 m)、ピッチ3.378m または直径2.565m、ピッチ3.353m |
出力 | 21,500shp |
速力 | 36ノット |
燃料 | 重油250トン |
航続距離 | 14ノットで3,000カイリ |
乗員 |
計画乗員 107名[3] 竣工時定員 110名[4] |
兵装 |
45口径三年式12cm砲x単装3門 三年式機砲x2挺 53cm連装発射管x2基4門 魚雷x8本 |
搭載艇 | 内火艇x1隻、18ftカッターx2隻、20ft通船x1隻 |
※トンは英トン |
竹(たけ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の6番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「竹」があるため、こちらは「竹 (初代)」や「竹I」などと表記される。
艦歴
[編集]1918年(大正7年)12月2日、神戸川崎造船所で起工[5]。1919年(大正8年)8月26日午前7時30分進水[6]。同年12月25日竣工[7][注釈 1]。
1940年(昭和15年)2月1日除籍。除籍後は舞鶴海兵団の練習船。1944年(昭和19年)2月10日、雑役船に編入され、海軍機関学校附属の練習船となる。1948年(昭和23年)解体[1]、船体は鵜来型海防艦伊唐、橘型駆逐艦栃(終戦時未成)と共に軍艦防波堤となり秋田県秋田港北防波堤となった。1975年(昭和50年)、秋田港の外港展開に伴う港拡張工事により新しく北防波堤を築造することになり、旧来の北防波堤は撤去され、竹、伊唐、栃の船体も撤去された。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 駆逐艦長
- 染河啓三 少佐:1919年12月4日[9] - 1920年12月1日[10]
- 石川哲四郎 少佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
- 小沢治三郎 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
- 小橋義亮 少佐:1922年12月1日[11] - 1923年6月15日[12]
- 石戸勇三 少佐:1923年6月15日 - 1924年12月1日
- 長谷部喜蔵 大尉:1924年12月1日[13] - 1926年8月1日[14]
- 樋口通達 少佐:1926年8月1日[14] - 1927年12月1日[15]
- 福沢常吉 少佐:1927年12月1日 - 1929年11月30日
- (兼)松田尊睦 大尉:1929年11月30日 - 1930年11月1日
- 吉村真武 少佐:1930年11月1日[16] - 1933年4月1日[17]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #海軍制度沿革11-2(1972)pp.1072-1073、昭和3年2月14日附内令第34号、艦船要目公表範囲では大正9年(1920年)12月25日竣工となっている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、301頁。
- ^ #帝国海軍機関史下巻pp.589-590(四八五-四八六頁)
- ^ #一般計画要領書p.16、士官6名、特務士官3名、下士官26名、兵72名
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.601-602、『大正八年六月十日(内令一八二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 二三等驅逐艦定員表ヲ附表ノ通改ム | 第六十表 | 二三等驅逐艦定員表 |(詳細、備考略) |』將校、機關將校6人、特務士官准士官3人、下士26人、卒75人
- ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像6『大正七年十二月二日 神戸市東川崎町貮丁目拾四番地 株式會社川崎造舩所 専務取締役社長松方幸次郎 海軍省艦政局長 岡田啓介殿 驅逐艦竹起工御届ノ件 御下命ヲ蒙リ弊社ニ於テ建造ノ驅逐艦竹本日午前九時三十分起工致候ニ付此段御届申上候也』
- ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像9『大正八年八月二十六日(中略)驅逐艦本日午前七時梨、竹同七時三十分無事進水セリ(了)』。#T8公文備考20艦船3/進水画像8『大正八年八月二十六日(中略)梨、竹無事進水セリ右報告ス』
- ^ #T8公文備考18艦船1/駆逐艦竹梨製造一件画像2『大正八年十二月二十五日(中略)發信者 竹駆逐艦長 受信者 大臣 電報譯 午前九時三十分本艦ヲ受領セリ』
- ^ 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
- ^ a b c 『官報』第2202号、大正8年12月5日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ 『官報』第3263号、大正12年6月16日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第4182号、大正15年8月2日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
- ^ 『官報』第1875号、昭和8年4月4日。
参考文献
[編集]- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』光人社、1993年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正8年 公文備考 巻18 艦船1/駆逐艦竹梨製造一件』。Ref.C08021311300。
- 『大正8年 公文備考 巻20 艦船3/進水』。Ref.C08021315200。