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竹内明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

竹内 明(たけうち めい、1969年2月23日 - )は、TBSテレビ執行役員[1]、前報道局長、ジャーナリスト作家TBS(東京放送)→TBSテレビの元・記者およびニュースキャスターで、身長は182cm。血液型B型

来歴

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神奈川県茅ヶ崎市出身。神奈川県立鶴嶺高等学校慶應義塾大学法学部法律学科卒業後の1991年にTBS(当時)へ入社。同期入社組に、アナウンサーの秋沢淳子(現在はTBSテレビ事業局国際事業部員)と安東弘樹(現在はフリーアナウンサー)、映画事業部担当部長の平野隆武田一顯(元・TBSラジオ国会担当記者)、制作局プロデューサーの大久保竜高橋一晃らがいる。

TBSへの入社後に、ADなど[2]を経て報道局に配属。報道局社会部記者として警視庁検察庁担当記者、オウム真理教事件警察庁長官狙撃事件東京地検特捜部が手がけた数々の事件で取材を担当した後に、報道局外信部が所管するJNNニューヨーク支局に海外特派員として赴任した[3]

日本への帰国後に、『イブニング・ファイブ』の編集長、報道局社会部・外信部のデスクを経て、2009年7月から『総力報道!THE NEWS』のキャスター陣に加わった。『総力報道 - 』の終了後は、報道局のニュース部次長や『Nスタ』の編集長を務めていた[4]が、2013年4月1日から同番組の平日版に出演。2014年10月3日まではJNN協定枠(全国ニュース)、翌週(10月6日)からは第2部『Nスタ ニューズアイ』(17:50 - 19:00[5])の総合司会を務めた。

『Nスタ ニューズアイ』の総合司会を2017年3月31日で勇退してからは、TBSテレビの報道局で管理業務に専念。総合編集センター長・編集部長を経て、2020年11月の時点で報道局長を務めている[6]。その一方で、記者時代の取材経験を基に、『総力報道!THE NEWS』のキャスター時代からインテリジェンスに関するノンフィクション作品小説を随時発表している(詳細後述)。

人物・エピソード

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  • 幼少時より空手を習っており、有段者。
  • 『報道局社会部記者』時代の1995年に発生した「全日空機ハイジャック事件」では 史上初の強行突入を現場で取材。機内の様々な映像は 竹内本人がダイレクトに入手した。
  • 『JNN ニューヨーク支局』では現場至上主義を掲げ、FBICIAの対テロ戦争の裏側や国連を中心に取材。さらには凶悪なストリートギャングに半年間潜入密着、児童買春の少年少女の実態を追うなど社会問題を中心に特集を製作した。またスペースシャトルコロンビア号の空中分解事故ハイチのクーデターさらにはハリケーンの「カトリーナ」による災害など多くの犠牲者を出した現場からもリポートした[3]
  • 報道特集NEXT』のディレクターの一人でもある。
  • 『総力報道!THE NEWS』出演時、裁判員裁判のニュースを報じる際に自ら描いた法廷内スケッチを使って解説を行い、中継レポートでもスケッチやイラストを多用した。
  • 東京ディズニーランドに計15回ほど訪れたことがある。また外国にあるディズニーランドにも複数ヵ所訪れたことがある。[7]

親族

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過去の出演番組

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著書

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  • 『ドキュメント秘匿捜査・警視庁公安部外事1課スパイハンターの344日』 講談社、2009年2月。
  • 『時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層』 講談社・第42回大宅壮一ノンフィクション賞候補、2010年4月。
  • 『背乗り 警視庁公安部外事二課』 講談社、2014年9月。
  • 『マルトク 特別協力者 警視庁公安部外事二課』 講談社、2015年10月。
  • 『完全秘匿 警察庁長官狙撃事件』 講談社+α文庫、2016年2月。[12]

脚注・出典

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  1. ^ https://tyn-imarket.com/pdf/2022/5/13/140120220512542978
  2. ^ gooテレビ番組『2013年3月28日・ちちんぷいぷい』(2013年11月4日閲覧)
  3. ^ a b 総力報道!THE NEWS キャスタープロフィール2013年4月15日閲覧。
  4. ^ 第十一回梓立祭2013年4月15日閲覧。
  5. ^ JNN協定枠は17:50 - 18:15
  6. ^ TBS社長 ロケで重傷のMISIAに謝罪「心からおわび申し上げます」(『スポーツニッポン』2020年11月26日付記事)
  7. ^ TVでた蔵『2013年5月7日・Nスタ』(2013年11月4日閲覧)
  8. ^ 宿毛市役所facebook - 『第11回梓立祭のお知らせ』に「竹内明氏(竹内明太郎の曾孫)」と表記。2013年4月15日閲覧。
  9. ^ 自由民権運動に関わり、自由党に入党して『東京絵入自由新聞』を創刊。その後、佐賀県の芳谷炭鉱を経営。小松製作所、唐津鉄工所の創立者であり、日産自動車の前身の快進社等を設立し、さらに早稲田大学理工学部、高知県工業高等学校(現・高知県立高知工業高等学校)などを創設し、工業立国に尽力した。ちなみに、国産第1号車であり日産自動車のブランド名として使用されていた「ダットサン」(DATSUN)のTは竹内明太郎の頭文字のTである。
  10. ^ 原則、第1部内コーナー「NEWSこれはジケンだ!」と第2部のJNN協定枠(17:50 - 18:15)のみの出演だったが、重大なニュースが入電された場合は時間帯に関係なく出演した。
  11. ^ 当日は日曜日で通常は出演しないが、ISILによる日本人拘束事件が急転したことに伴い“緊急特番”とし放送時間を拡大したため出演。
  12. ^ 2010年刊「時効捜査 警察庁長官狙撃事件の深層」を文庫化した上で改題。また内容も一部加筆・修正を行った。

外部リンク

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