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立川知方

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立川 知方(たてかわ ともかた、1825年4月19日文政8年3月2日[1][2] - 1894年明治27年)3月[1])は、幕末から明治に活躍した日本の建築技師。幕末・明治初期の洋風建築技術を体得する。工部省の代表的建築技術者として、皇居造営などに参画した。

略歴

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1825年(文政8年) 東京に生まれ。立川流規矩術を受け継ぐ匠家に生まれる[1]

慶応元年(1865年)から明治3年(1870年)まで横須賀製鉄所建設に従事[1]1871年(明治4年)に東京府営繕掛。翌年、大蔵省土木小属。1874年(明治7年)に工部省製作寮に入る[1]1877年(明治10年)寮制廃止後、営繕局技師となる[1]。また1879年(明治12年)には開工舎を設立、匠家規矩術を教える[1]1880年(明治13年)に宮殿御造営御用。1882年(明治15年)、皇居御造営事務局御用掛専務となり、旧宮内省庁舎(1888年)の工事を担当[1]

1883年(明治16年)に建築学校設置開申を提出、日本建築学校開工含となる(1885年廃校)。 その後ロンドン万国衛生及教育博覧会に大和樣匠家矩術図書を出品。

1884年(明治17年)と1888年(明治21年)に皇居御造営残務取扱専務。1893年(明治26年)まで内匠寮技師として、高輪御殿(1892年竣工)の工事などを担当した[1]

立川については、村松貞次郎が「立川知方・石川正員」『日本近代建藁史ノート』(世界盡院 1965年)で記載があり、なかなか機敏な性格で、しかもかなりうるさがただったとしている。1879年(明治12年)皇居を新たに造営することが発表されたが、その建築構造について,耐火・耐久の点から石造(煉瓦造をふくむ) をよしとする意見と、耐震の見地から木造を主張する意見とが対立し、当時工部省四等技手であった立川は、ながい経験によるわが国の木造建築のほうが石造より優れていることを上申、それによると、工匠としての彼の自負と経験の一端をうかがうことができるという。この皇居造営は、結局、奥向御殿は木造純和様、表御殿は木造和洋折衷、宮内省庁合は煉瓦滋と決定し、皮肉なことに立川は煉凡造の宮内省庁舎の施工指導を担当することになったという。その仕事を処理できるだけの実力も認められていたためであるが、以後、宮内省内匠寮にあって活躍。1892年(明治25年)竣工の高輪御所の工事も担当。

1882年(明治15年)に竣工した上野博物館(煉瓦造)はジョサイア・コンドルの作品としても代表的なものであるが、立川はこの現場主任を勤めていた。工事中途において暴風雨に製われ、屋根板が飛散してしまった。彼はただちに小田原に電報を打ち屋根職を呼び集め、即時にして吹替えを完了した。当時東京の屋根職が風害に使乗して値上げすることを考慮したからといわれ、その敏腕がうたわれた。建設工事施工に関しては当代第一の評があったらしい。

1894年3月逝去[要出典]

主な作品

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  • 横須賀製鉄所(1870年)
  • 紙幣寮(1875年)
  • 銀座煉瓦街(1875年)
  • 上野博物館(1882年)
  • 皇居宮内庁舎(1887年)
  • 近衛局本衛(1887年)
  • 高輪御殿(1892年)
  • 沼津御用邸(1893年)

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『皇室建築 内匠寮の人と作品』425頁。
  2. ^ 立川知方』 - コトバンク

参考文献

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  • 『明治工業史建築篇』工学会編 工学会明治工業史発行所 1930
  • 村松貞次郎・立小野木重勝「立川知方と清水義高」『学会関東支部研究報告」40
  • 細川隼人「立川流の建築』諏訪史談会 1972
  • 清水慶一「立川知方の工舎について」『学会大会梗概集』(計画)
  • 9072 明治宮殿造営組織における図工の採用状況と堂宮大工の参加経緯 : 相模国大山大工・手中家の日記から(日本近代:作家論(3),建築歴史・意匠,2012年度大会(東海)学術講演会・建築デザイン発表会) 小沢 朝江 学術講演梗概集 2012(建築歴史・意匠), 143-144, 2012年9月
  • 横須賀製鉄所における建設材料の収集と調査研究 : 煉瓦・セメント・木材 菊地 勝広 , 初田 亨 日本建築学会計画系論文集 70(587), 191-197, 2005
  • 明治宮殿の造営過程に見る木造和風の表向き建物の系譜とその意匠的特徴 山崎 鯛介 日本建築学会計画系論文集 69(582), 161-168, 2004
  • 612 著者にみる建築技術書の内容的変遷 : 我が国における技術書の刊行と建築技術の普及に関する研究 その5(建築計画) 山口 圭子 , 片野 博 日本建築学会研究報告. 九州支部. 3, 計画系 (42), 45-48, 2003年3月
  • 仕様書-平面上の建築 倉方 俊輔 建築雑誌 117(1494), 58, 2002年10月
  • 制限図の作成過程とその成立時期について 青木 祐介 日本建築学会計画系論文集 66(546), 261-267, 2001
  • 9195 『建築雑誌』および明治期公刊建築書における建築仕様書の特徴について : 建築仕様書の研究 その1 倉方 俊輔 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠 1999, 389-390, 1999年7月
  • わが国における旧帝国博物館の成立過程 永野 光一 , 水野 信太郎 北海道女子大学短期大学部研究紀要 36, 93-104, 1999
  • 明治期官営炭鉱の建築関連技術者について : 北海道における炭鉱関連建築に関する歴史的研究 その2 駒木 定正 日本建築学会計画系論文集 62(500), 245-250, 1997
  • 157 官営炭鉱における開拓使以降の建築組織と建築関係技術者(近代建築・3) 駒木 定正 日本建築学会北海道支部研究報告集 (69), 625-628, 1996年3月
  • 立川和四郎富棟の建築活動と大工集団について 吉澤 政己 日本建築学会計画系論文集 59(466), 143-152, 1994
  • 明治以降における唐破風(からはふ)曲線の評価と応用 藤原 惠洋 デザイン学研究 1992(90), 57-64, 1992
  • 東京都立中央図書館木子文庫所収の明治宮設計図書に関する研究 藤岡 洋保 , 斉藤 雅子 , 稲葉 信子 日本建築学会環境系論文集 431(0), 137-146, 1992
  • 継手・仕口雛形の書誌と類型 : 継手・仕口雛形の研究 その1 内藤 昌 , 渡辺 勝彦 , 若山 滋 日本建築学会環境系論文集 360(0), 70-75, 1986
  • 9166 木子清敬の帝国大学における日本建築学授業について : 授業草稿から 稲葉 信子 学術講演梗概集. F, 都市計画, 建築経済・住宅問題, 建築史・建築意匠 1985, 917-918, 1985年9月
  • 近代における技能教育の歩み--近代日本建築技能教育史試論 (建築における技能教育) 山口 広 建築雑誌 97(1192), p2-5, 1982年4月
  • 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
  • 山本治兵衛の建築活動と明治後期における高等教育施設の外観意匠 : 高等教育施設の史的研究 (4) 宮本 雅明 , 谷 直樹 , 石田 潤一郎 日本建築学会構造系論文集 310(0), 152-160, 1981 
  • 明治初期における初等・中等建築教育の研究 清水 慶一 日本建築学会構造系論文集 307(0), 142-150, 1981
  • 明治期における文部省営繕組織の構成と沿革 : 高等教育施設の史的研究 (1) 宮本 雅明 日本建築学会構造系論文集 292(0), 119-128, 1980
  • 「近世以降の工匠」棟梁からア-キテクトへ (日本建築学会昭和50年度秋季大会(関東)の概況<特集>) -- (研究協議会) 鈴木 解雄 建築雑誌 91(1104), p184-185, 1976年3月