窪田茂
獲得メダル | ||
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日本 | ||
柔道 | ||
ワールドカップ団体戦 | ||
金 | 1998 ミンスク | 100kg級 |
アジア柔道選手権 | ||
銅 | 1999 温州 | 100kg級 |
窪田 茂(くぼた しげる、1973年6月11日 -)は静岡県富士市出身の日本の柔道家。現役時代は100kg級の選手。身長187cm。得意技は内股[1]。
人物
[編集]柔道は小学校4年生の時に始めた。中学には柔道部がなかったのでバスケットボール部に所属していた。3年の時に全国中学校柔道大会に出場するが、上位には進めなかった[1]。東海大相模高校に進むと、1年の全国高校選手権団体戦では2位になった。2年の時には金鷲旗決勝の大将戦で世田谷学園高校エースの田辺勝を合技で破ってチームを優勝に導いた。インターハイ団体戦でも優勝を飾った。全国高校選手権個人戦無差別では、準決勝で71kg級の選手である東海大第五高校の中村兼三を技ありで破ると、決勝でも沖縄尚学高校の真喜志慶治を判定で破って優勝するが、団体戦では決勝で沖縄尚学高校と対戦すると、真喜志に判定で敗れてチームも2位に終わった。3年の時には国際高校柔道選手権大会に出場すると、オール一本勝ちでチームの優勝に貢献して最優秀選手に選ばれた。金鷲旗では2連覇を果たすが、居座り大将として一度も出番がなかった。インターハイ個人戦重量級では決勝で真喜志を判定で破って優勝するも、団体戦では準々決勝で天理高校に敗れて5位にとどまった。1992年に東海大学へ進むと、1年の時には全日本学生柔道優勝大会で2位だった。2年の時には全日本ジュニア95kg超級で優勝を飾った。3年の時には嘉納杯決勝でドイツのフランク・モラーに大内返で敗れた。4年の時には正力杯決勝で真喜志に判定で敗れるも、全日本学生柔道優勝大会ではチームの優勝に貢献した。さらに、正力国際無差別決勝では、天理大学1年の村元辰寛を判定で破って優勝を飾った。1996年には旭化成所属となった[2]。1997年には階級を100kg級に変更して講道館杯に出場するが、決勝で大学の後輩である井上康生に警告で敗れた。1998年にはフランス国際で3位となった。また、ベラルーシのミンスクで開催されたワールドカップ団体戦に出場して、優勝メンバーの一員として名を連ねることになった。1999年の選抜体重別では準決勝で井上を支釣込足で破ると、決勝でも国士舘大学1年の鈴木桂治を内股で破って初優勝を成し遂げた。アジア選手権では3位にとどまった。2000年には全日本選手権に出場して5位となった。
主な戦績
[編集]95kg超級での戦績
- 1990年 - 全国高校選手権 団体戦 2位
- 1990年 - 金鷲旗 優勝
- 1990年 - インターハイ 団体戦 優勝
- 1990年 - 国体 少年男子の部 3位
- 1991年 - 全国高校選手権 個人戦 優勝 団体戦 2位
- 1991年 - 国際高校柔道選手権大会 優勝
- 1991年 - 金鷲旗 優勝
- 1991年 - インターハイ 個人戦 優勝 団体戦 5位
- 1991年 - 全日本新人体重別 3位
- 1992年 - 正力杯 5位
- 1992年 - 全日本学生柔道優勝大会 2位
- 1992年 - 全日本ジュニア 3位
- 1993年 - 全日本学生柔道優勝大会 3位
- 1993年 - 全日本ジュニア 優勝
- 1994年 - 正力杯 3位
- 1994年 - 全日本学生柔道優勝大会 3位
- 1994年 - 嘉納杯 2位
- 1994年 - 講道館杯 3位
- 1995年 - ドイツ国際 7位
- 1995年 - 正力杯 2位
- 1995年 - 全日本学生柔道優勝大会 優勝
- 1986年 - 正力国際 優勝(無差別)
- 1996年 - 選抜体重別 3位
100kg級での戦績
- 1997年 - 講道館杯 2位
- 1998年 - フランス国際 3位
- 1998年 - オーストリア国際 5位
- 1998年 - 選抜体重別 3位
- 1998年 - ワールドカップ団体戦 優勝
- 1999年 - 選抜体重別 優勝
- 1999年 - アジア選手権 3位
- 2000年 - モナコ国際 3位
- 2000年 - 全日本選手権 5位
- 2001年 - 選抜体重別 3位
- 2002年 - ロシア大統領杯 団体戦 3位
脚注
[編集]- ^ a b 「ZOOM IN 素顔 窪田茂」近代柔道 ベースボールマガジン社、1991年5月号、98-99頁
- ^ プレスリリース (全日本柔道選手権大会に旭化成より7人が出場)
外部リンク
[編集]- 窪田 茂 - JudoInside.com のプロフィール