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稲葉義猛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
稲葉 義猛
1914年大正3年) - 2011年平成23年)1月23日
法名 義猛
生地 三重県
宗派 高野山真言宗
寺院 金剛峰寺
寳壽院
本覚院
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稲葉 義猛(いなば ぎみょう、1914年大正3年) - 2011年平成15年)1月23日)は、高野山真言宗管長金剛峯寺408世座主。三重県出身。

生涯

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三重県出身。本覚院の住職を経て1985年昭和60年)に寳壽院11世院主に就任。

1994年平成6年)11月15日金剛峰寺408世座主と高野山真言宗管長に就任し1998年(平成10年)まで務めた[1]

2011年平成15年)1月23日心不全のため和歌山県高野町の自坊の本覚院で死去。享年96[2]

脚注

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  1. ^ 稲葉義猛氏死去/元高野山真言宗金剛峯寺座主”. 四国新聞. 2024年4月5日閲覧。
  2. ^ 稲葉義猛・元高野山真言宗管長が死去”. 日本経済新聞. 2024年4月5日閲覧。
先代
竹内崇峯
高野山金剛峯寺座主
第408世:1994年 - 1998年
次代
和田有玄