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稲葉尊通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稲葉尊通
稲葉尊通像(臼杵市・月桂寺所蔵)
時代 江戸時代後期
生誕 享和元年2月12日1801年3月26日
死没 文政4年10月17日1821年11月11日
改名 虎太郎、尊通
戒名 本隆院殿一道宗生大居士
墓所 大分県臼杵市の月桂寺
東京都港区高輪東禅寺
官位 従五位下民部少輔
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
豊後臼杵藩
氏族 稲葉氏
父母 稲葉雍通有馬頼貴の娘・澄
兄弟 尊通幾通通臧通孚松平康爵正室、松平輝茂正室
養子幾通
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稲葉 尊通(いなば たかみち)は、豊後国臼杵藩の第12代藩主

略歴

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文政3年(1820年)5月6日、父から家督を譲り受けたが、藩主の激務は体がもともと弱かった尊通をさらに衰弱させた。文政4年(1820年)に宇和島藩主の三女との間で結ばれていた婚約を破棄し、江戸から臼杵へ帰国したが、発熱するようになり[1]、同年10月17日に21歳で死去した。

嗣子がないため、急遽、家老が江戸に上り、父の雍通と協議の上、弟の幾通仮養子の届けを幕府に提出。その後、養子が認められたため、幾通が次代の藩主となった。

系譜

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父母

養子

出典

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  1. ^ 江後迪子 (1999年). 隠居大名の江戸暮らし. 吉川弘文館. p. 161ページ. ISBN 4-642-05474-X