稲福健蔵
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いなふく けんぞう 稲福 健蔵 | |
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プロフィール | |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
生年月日 | 1932年1月12日 |
没年月日 | 1996年 |
最終学歴 | 松山外国語短期大学卒業 |
職歴 |
琉球放送(RBC)アナウンサー、報道記者 東京放送(TBSテレビ)報道記者、ニュースキャスター(RBCからの出向) RBCニュースキャスター RBCアナウンス課長 RBC放送部長(1968年時点) RBC報道局長 RBC取締役 RBC常務取締役 RBC専務取締役 株式会社アール・ビー・シー・カルチャー企画代表取締役社長 |
活動期間 | 1954年 - 1996年 |
ジャンル | 報道 |
出演番組・活動 | |
出演経歴 |
JNNニュースデスク RBCエリアレポート |
稲福 健蔵(いなふく けんぞう、1932年1月12日 - 1996年)は、日本のアナウンサー・報道記者である。
人物
[編集]- 琉球放送(RBC)で主に報道番組、ドキュメンタリー番組を手がける。
- 1969年、沖縄県がアメリカ合衆国占領下にあったころ、報道協定を結んでいたTBSテレビ(当時は東京放送のテレビ部門)に報道記者として1年間出向し、同年3月31日から翌1970年3月27日まで『JNNニュースデスク』初代メインキャスターを務めた。また、同キャスターとしての活動が認められ、第7回ギャラクシー賞(1969年度)の第12回期間選奨(1970年1月 - 1970年3月)に選出された[1]。
- RBCに復帰後、1976年にテレビで放送開始した沖縄初の夕方のローカルワイドニュース『RBCエリアレポート』の初代メインキャスターへ就任。
- 最晩年には、阿波根昌鴻を追ったドキュメンタリー映画『人間の住んでいる島』(1997年公開。監督:橘祐典)で「語り」としてナレーターを担当[2]。これが最後の仕事となった[2]。
脚注
[編集]- ^ 第7回ギャラクシー賞の選奨一覧 - 放送批評懇談会ホームページより。
- ^ a b 映画「人間の住んでる島」完成 阿波根昌鴻さんの歩み追う - 『琉球新報』1996年10月24日付
外部リンク
[編集]期間 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | 土曜日 | 日曜日 | |
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1969.3.31 | 1970.3.27 | 稲福健蔵(RBC) | (放送なし) | (放送なし) | ||||
1970.3.30 | 1971.3 | 安田浄(SBC) | 新堀俊明 | |||||
1971.4 | 1972.3 | 西川通(TBC) | ||||||
1972.4 | 1973.3.31 | 村岡芳行(RCC) | 新堀俊明 | |||||
1973.4.2 | 1973.9 | 喜田治男(MBC) | 新堀俊明 | (放送なし) | ||||
1973.10 | 1975.3.28 | 村形貞彦(HBC) | 新堀俊明 | |||||
1975.3.31 | 1978.3 | 藤林英雄 | ||||||
1978.4 | 1979.9 | 藤林英雄 | 土屋統督 | |||||
1979.10 | 1980.3 | 藤林英雄 | 小泉正昭 | |||||
1980.4 | 1980.8 | 小泉正昭 | ||||||
1980.9 | 1981.3.28 | 小泉正昭 | 五味陸仁 | |||||
1981.3.30 | 1982.9 | 奈良陽 | ||||||
1982.10 | 1983.3 | 小島康臣 | ||||||
1983.4 | 1984.4.1 | 加藤和雄(共同通信社)、川戸恵子 | 小島康臣 | |||||
1984.4.2 | 1985.9 | 加藤和雄 | 川戸恵子 | |||||
1985.10 | 1986.9.28 | 五味陸仁 | ||||||
1986.9.29 | 1987.9.27 | (放送終了) | 川戸恵子 | |||||
1987.10.3 | 1988.3 | 鈴木史朗 | 近藤美矩 | |||||
1988.4 | 1988.6 | 下村健一 | ||||||
1988.7 | 1988.9.25 | 松永邦久 | ||||||
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