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稗貫広忠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
稗貫 広忠
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 文禄3年(1594年
別名 通称:孫次郎
官位 備中守[1]
氏族 和賀氏稗貫氏
父母 実父:和賀義勝
養父:稗貫輝時
兄弟 広忠和賀義忠
重政
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稗貫 広忠(ひえぬき ひろただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将和賀・稗貫一揆に関わった人物である[2]陸奥国花巻城主。

生涯

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稗貫氏鎌倉時代からの名族で、広忠は和賀氏から出て稗貫輝時の養子となり、稗貫氏を継いだ。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉小田原征伐に参陣しなかったため、所領を没収された[3]

その後、広忠は弟の和賀義忠とともに和賀・稗貫一揆を起こし、花巻城を奪回したが、翌年の天正19年(1591年)、奥州仕置軍の攻撃を受けて大崎氏を頼って敗走、後に剃髪したという[4]

脚注

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  1. ^ 武家家伝_稗貫氏、2021年8月22日閲覧
  2. ^ 百科事典マイペディア. “和賀・稗貫一揆とは”. コトバンク. 2021年5月24日閲覧。
  3. ^ 森岡浩『戦国大名家人物辞典』東京堂出版、2013年12月20日、444頁。ISBN 9784490108422 
  4. ^ 阿部猛西村圭子『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年9月10日、648頁。ISBN 9784404017529