秋保親兼
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秋保 親兼(あきほ ちかかね、1856年(安政3年)5月13日 - 1915年(大正4年)5月29日)は出羽国田川郡鶴岡(現・山形県鶴岡市)出身の政治家、衆議院議員(2期)、済急社監査役、庄内煙草社長である。
略歴
[編集]1856年(安政3年)5月13日、庄内藩士・伴弥平の3男として生まれる。その後、庄内藩校致道館で学ぶ。
1872年(明治5年)、松ヶ岡開墾に参加。1880年(明治13年)、済急社(現・荘内銀行)の設立に関わる。
1889年(明治22年)、鶴岡町会議員就任。西田川郡会議員、山形県会議員に就任。1894年(明治27年)9月1日、第4回衆議院議員総選挙(旧山形3区・立憲革新党公認・2119票獲得)初当選。1898年(明治31年)8月10日、第6回衆議院議員総選挙(旧山形3区・憲政本党公認・3276票獲得)2期目当選。
1902年(明治35年)8月10日、任期満了で議員辞職。後に庄内煙草を設立し社長就任。
1915年(大正4年)5月29日に死去。東京都台東区の谷中霊園に墓がある。