福元岩吉
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福元 岩吉(ふくもと いわきち、1884年(明治17年)9月20日[1] - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。澎湖庁長。通称は康行[1]。
経歴
[編集]鹿児島県鹿児島郡川上村(現・鹿児島市川上町)に生まれる[1]。第七高等学校造士館を経て[2]、1914年(大正3年)東京帝国大学経済学部を卒業し、翌年10月[2]文官高等試験行政科試験に合格[1]。直ちに官界に入り、茨城県工場官補、同県結城郡・真壁郡長[3]、同県理事官を経て、1924年(大正13年)栃木県属に転じ、さらに翌年長野県書記官を経て、1927年(昭和2年)和歌山県書記官を拝命する[1]。
ついで渡台し、1932年(昭和7年)台北州内務部長、1935年(昭和10年)澎湖庁長を経て、1936年(昭和11年)府事務官に転じ退官[1]。1937年(昭和12年)3月、台湾青果常任監査役に就任[1]。同社監査役を経て[4]、専務となった[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 台湾新民報社 1937, 329頁.
- ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、215頁。
- ^ a b 帝国秘密探偵社 1943, 台湾58頁.
- ^ 興南新聞社 1943, 348頁.
参考文献
[編集]- 台湾新民報社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1937年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。
- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 外地・満支・海外篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。