コンテンツにスキップ

神田康範

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

神田 康範(かんだ やすのり、1981年昭和56年〉4月3日 - )は、熊本県熊本市出身の実業家本田圭佑のマネージャーやライジングゼファーフクオカの代表取締役社長兼CEO、火の国サラマンダーズの球団社長を経て、現在はサンロッカーズ渋谷の代表取締役社長を務めている。

経歴

[編集]

熊本県立済々黌高等学校卒業、大阪外国語大学卒業(現大阪大学外国語学部)。高校時代は野球部に所属。

大学卒業後ブリヂストンスポーツに入社し、アメリカでゴルフのマーケティングに携わる[1]。帰国後サニーサイドアップを経て、本田圭佑の所属事務所HONDA ESTILOの執行役員に就任[2]。本田の広告セールスやマネージャー業に従事した。本田が経営に関与するオーストリアのSVホルンのCEO兼副会長として運営にも携わった。

2018年3月、B.LEAGUEライジングゼファーフクオカの代表取締役社長/CEOに就任する。在任中に経営危機に見舞われる[3]。2019年9月退任。この退任は経営危機の責任を取る形だった[3]

2019年1月、サッカーGKの権田修一の海外移籍(ポルトガル)を機に、権田の肖像管理などマネジメントに携わる。

2019年11月、のちに「火の国サラマンダーズ」の運営会社となるKPB Project株式会社の代表取締役に就任した。

2020年 4月、スポーツアクティベーションひろしま(広島県スポーツコミッション)代表に就任。KBP Projectは2020年9月に九州独立プロ野球リーグ(現:九州アジアリーグ)の球団設立を発表し[4]、同年10月に球団名が「火の国サラマンダーズ」に決定した[5]

2024年4月16日、KPB Project株式会社の代表取締役社長兼GMの退任(実際の退任は5月13日の株主総会後)を発表[6]。4月30日には同日付でのリーグのCMO職および役員からの退任も発表された[7]

脚注

[編集]
  1. ^ “B2福岡、地区V王手 21日にホーム熊本戦 社長はサッカー日本代表本田の元マネジャー”. 西日本スポーツ. (2018年4月12日). https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/410284/ 2021年1月13日閲覧。 
  2. ^ “プロバスケ、資金難でB2降格〔敗軍の将、兵を語る〕”. 日経ビジネス. (2019年8月30日). https://business.nikkei.com/atcl/NBD/19/00115/00033/ 2021年1月13日閲覧。 
  3. ^ a b 中島大輔 (2020年12月18日). “「本田圭佑の右腕」、立ち上げた九州独立リーグの勝算”. News Picks. https://newspicks.com/news/5468916/body/ 2020年12月18日閲覧。 
  4. ^ “熊本に初のプロ球団 熊本GL母体 21年春新設の九州独立リーグに参戦へ”. 毎日新聞. (2020年9月11日). https://mainichi.jp/articles/20200911/k00/00m/050/212000c 2020年11月18日閲覧。 
  5. ^ “通算182セーブの馬原孝浩氏、熊本プロ球団でコーチに 異例の役職「ピッチングGM」”. 西日本スポーツ. (2020年10月17日). https://web.archive.org/web/20201017223432/https://www.nishinippon.co.jp/nsp/item/n/655143/#:~:text=%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%81%A7%E6%AD%B4%E4%BB%A3,%EF%BC%88GM%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%82%92%E6%96%B0%E8%A8%AD%E3%80%82 2020年11月18日閲覧。 
  6. ^ KPB Project 株式会社 代表取締役社⻑交代(内定)について - 火の国サラマンダーズ”. 火の国サラマンダーズ - DREAM・ACTIVE・REBRAND (2024年4月16日). 2024年4月16日閲覧。
  7. ^ CMO退任のお知らせ - 九州アジアプロ野球リーグ(2024年4月30日)2024年4月30日閲覧。

外部リンク

[編集]