神村吉郎
表示
神村吉郎 かみむら きちろう | |
---|---|
| |
生年月日 | 1867年4月9日 |
出生地 | 琉球王国・具志川間切天願 |
没年月日 | 1942年1月24日(74歳没) |
出身校 | 帝国大学農科大学(現東京大学) |
前職 |
琉球砂糖株式会社 創業者 沖縄県農工銀行 取締役 沖縄毎日新聞社 理事 沖縄共立銀行 専務 具志川村会議員 沖縄県会議員 |
所属政党 | 政友本党 |
配偶者 | 神村ませい |
子女 | 神村孝太郎(琉球政府行政副主席) |
選挙区 | 沖縄県第3区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1924年5月 - 1928年3月 |
神村 吉郎(かみむら きちろう、1867年4月9日(尚泰20年3月5日) - 1942年(昭和17年)1月24日[1])は、沖縄県出身の政治家、実業家。衆議院議員。琉球政府で行政副主席を務めた神村孝太郎は長男。
経歴
[編集]具志川間切天願(現うるま市字天願)で、代々地頭代を務める神村家の神村孝吉の長男として生まれる[1][2]。1889年、沖縄県尋常師範学校を卒業し、帝国大学農科大学実科で学び、1892年に卒業した[1][2][3]。
1894年、沖縄県属に就任[1][2]。その後退官し、1898年、沖縄県農工銀行創立委員となり、1899年に設立後、監査役に就任[1][2]。同年、謝花昇らと沖縄倶楽部を結成し自由民権運動に加わったが、1900年、農工銀行重役改選において支配者層につき取締役に選出された[1][2]。具志川村会議員、沖縄県会議員、琉球砂糖 (株) 社長、沖縄毎日新聞社理事、沖縄共立銀行専務などを務めた[1][3]。また、中頭郡組合立農事試験場長を務めるなど、果樹、園芸、畜産の経営も行った[2]。
1912年5月、沖縄県最初の衆議院議員選挙(第11回総選挙)に出馬したが落選[1]。1924年5月の第15回衆議院議員総選挙で沖縄県第三区から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[1][3]。
家族・親族
[編集]- 祖父:孝慶(生没年不詳、享年77歳) - 豪農
- 父:孝吉(1830年 - 1890年) - 地頭代、孝慶七男(嫡子)
- 母:
- 弟:吉助(1881年 - 1958年) - 神村医院・医院長、沖縄県会議員、孝吉次男
- 妻:ませい(1863年 - 1918年)
- 長男:孝太郎(1897年 - 1988年) - 琉球政府行政副主席、琉球電電公社初代総裁
- 孫:孝栄(1920年 - ??) - 琉球放送報道局長
- 長女:政子 - 実業家・徳村太郎妻
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』上巻、沖縄タイムス社、1983年。
- 楢原友満編『沖縄県人事録』沖縄県人事録編纂所、1916年。