神戸市立生田中学校
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神戸市立生田中学校 | |
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北緯34度41分26秒 東経135度10分33秒 / 北緯34.690639度 東経135.175722度座標: 北緯34度41分26秒 東経135度10分33秒 / 北緯34.690639度 東経135.175722度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 神戸市 |
設立年月日 | 1947年4月22日 |
創立者 | 神戸市 |
閉校年月日 | 1990年3月24日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒650-0004 |
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神戸市立生田中学校(こうべしりつ いくたちゅうがっこう)は、兵庫県神戸市中央区中山手通7丁目にあった公立中学校。
1990年3月に閉校し、神戸中学校と生田中学校を統合し神戸市立神戸生田中学校となる。
跡地は、神戸市立山の手小学校となった。
写真
[編集]- 神戸市立生田中学校舎196508 (生田中へ上る坂の左は熊野神社。手前の道路は、明治三十三年に宇治野山の真中を二つに切り開き「切り通し」又は「堀割り」と呼ばれ、山手から平野楠谷町に通じる道路として完成したもの[2]。)
沿革
[編集]経緯
[編集]神戸市立生田中学校は、1947年(昭和22年)4月22日に開校した[3][4]。当初は、独自の校舎を持たず神戸市立諏訪山小学校などを利用した。(昭和29年の神戸市街図では、神戸市立諏訪山小学校の位置に”生田中”が併記されている)[5][6]。1948年(昭和23年)、神戸市立長狭中学校(後、神戸市立神戸中学校に改称)が分離し[7]、北長狭校舎[8]にて開校した。 1950年(昭和25年)、文部省建築モデルスクールに指定された[9][10]。 1964年(昭和39年)、 兵庫県中学校バスケットボール大会に男女ともに優勝[11]、1971年(昭和46年)、ベルマーク全国第1位受賞[12]、 1972年(昭和47年)全日本よい歯の学校賞受賞[12]、 陸上部 男子400mリレー全日本ランキング1位[13]という業績を修めた。 1990年(平成2年)、神戸市立神戸中学校と統合、44年の歴史に幕を下ろした。同年4月1日 、神戸市中央区北長狭通の神戸市立神戸中学校および神戸市立摩耶兵庫高等学校移転跡地に、両校を統合した神戸市立神戸生田中学校が創立された。但し新校舎完成までは、現在の神戸市立山の手小学校の校地にあった旧生田中学校校舎を使用した。
年表
[編集]- 1947年4月22日 - 神戸市立生田中学校として開校
- 1948年4月15日 - 神戸市立長狭中学校(後、神戸市立神戸中学校)が分離
- 1949年10月12日 - 神戸市立諏訪山小学校から神戸市立山手小学校へ校舎移転[14]
- 1950年5月18日 - 文部省建築モデルスクールとして第1期工事着工
- 1951年3月31日 - 第2期工事着工
- 1951年
- 1952年6月8日 - 第3期工事竣工
- 1955年6月6日 - 第4期工事竣工
- 1957年9月9日 - 第5期工事竣工
- 1959年
- 1959年10月27日 - 産業教育施設研究指定校となる[15]
- 1964年12月28日 - 兵庫県中学校バスケットボール大会優勝(男女とも)
- 1971年10月30日 - ベルマーク全国第1位受賞
- 1972年1月20日 - 全日本よい歯の学校賞受賞
- 1974年 - 陸上部 男子400mリレー全日本ランキング1位となる
- 1977年11月2日 - 創立30周年記念式典を開催[16]
- 1990年
- 3月24日 - 神戸市立神戸中学校及び神戸市立生田中学校にて閉校式。
- 4月1日 - 神戸中学校と生田中学校を統合し神戸市立神戸生田中学校創立
著名な出身者
[編集]- ミツ・ヒライ(プロレスラー)
- 佐々木一樹(Jリーグ初代事務局長。2012年4月より、ジェイリーグエンタープライズ代表取締役社長[17]。 )
- 箙かおる(元宝塚歌劇団専科男役)
- 田中ケロ(プロレスリングアナウンサー、ナレーター)
脚注
[編集]- ^ 神戸海洋気象台と山手小学校の界隈
- ^ 郷土史家 神戸史談会々員 前田章賀 平野の街あっちこっち 第3回
- ^ 生田中学校 1977, p. 18.
- ^ 神戸の歴史 (1947年)昭和22年4月22日 市立中学校開校式 :アメリカの民主的な制度にならい教育制度が改められ、昭和22年4月から六・三制が発足。神戸では24の新制中学が開校した。
- ^ URLが通らないのでURL省略(検索キーワード:神戸を守る結界「生田裔神八社」 昭和29年発行の神戸市街の古地図 ) ブログ 2013-03-22
- ^ 文部科学省 学制百年史 発足当初の新制中学校:中学校はなんらの母体や下地をもたずに発足したため、特に校舎や教室の不足は深刻をきわめた。戦災をまぬがれた旧高等小学校などを転用して独立校舎をもちえたものは、当初、中学校の一五%にすぎず、二十四年四月当時、二部・三部授業を実施するもの二、二六八教室、講堂や屋内体育館を間仕切りしているもの三、三四二教室、廊下・昇降口・物置きなどを代用しているもの三、〇九〇教室というありさまで、いわゆる青空教室や不正常授業はいたるところでみられた
- ^ 生田中学校 1977, p. 19.
- ^ 現在の神戸市立神戸生田中学校校地で、戦前には北長狭小学校があったほか、神戸四中・県三高女発祥の地でもある。また直前には県一高女が借用していた。
- ^ 1950年(昭和25年)生田中(文部省建築モデルスクール)神戸建築年表5 神戸建築データバンク
- ^ 文部科学省 学制百年史 > 四 学校施設の整備 六・三制校舎の建設:学校建築の質的向上に資するため、二十二年度から二十九年度まで、モデルスクール二〇校を指定し、実際に建った新しい型の学校建築を通じてその普及に努める
- ^ 生田中学校 1977, p. 33.
- ^ a b 生田中学校 1977, p. 42.
- ^ 生田中学校 1977, p. 45.
- ^ 生田中学校 1977, p. 20.
- ^ 生田中学校 1977, p. 32.
- ^ 生田中学校 1977, p. 46.
- ^ 大住良之. “「夢」を実現した軌跡をたどる Jリーグを創った男・佐々木一樹 第1回”. 2014年6月4日閲覧。
参考文献
[編集]生田中学校『ほこりをとわに 創立三十周年記念誌』1977年11月1日。
関連項目
[編集]- 神戸市立神戸生田中学校
- 兵庫県中学校の廃校一覧
- 神戸市立山の手小学校
- 神戸市立山手小学校
- 神戸市立諏訪山小学校
- 生田神社
- 熊野神社 (神戸市中央区)
- 梶原景季(かじわら かげすえ)
- 宇治野山