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磯田憲一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
磯田 憲一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県
生年月日 1924年6月10日
没年月日 (2002-12-17) 2002年12月17日(78歳没)
身長
体重
160 cm
60 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1950年
初出場 1950年
最終出場 1956年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

磯田 憲一(いそだ けんいち、1924年6月10日 - 2002年[1]12月17日)は、広島県出身のプロ野球選手内野手)。

来歴・人物

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広島商業学校では「幻の甲子園」と呼ばれる1942年の全国中等学校野球大会に主将として出場し[2]、名遊撃手として知られた[3]。卒業後は明治大学に進学し、杉下茂らと活躍[3]。大学卒業後はコロムビアを経て、1950年に誕生した地元のプロ野球チーム・広島カープへ入団[4]。球団結成披露式では石本秀一監督から「地元が生んだ天才内野手」と紹介されたが[4]、身長160cmと小柄な体であったため、守備力はあったがバッティングの力には欠けていた。そのため、石本からバントの練習を常々指示され、広島のバントの名手として活躍[4]。守備では二塁を中心に一塁とバッテリー以外のポジションを全て守ったユーティリティプレイヤーであったが[4]1955年10月20日中日戦(広島総合)では、長谷川良平の30勝目がかかっていた試合で延長14回裏に広岡富夫の代打で出場し、見事センター前にサヨナラ安打を打ち、長谷川に30勝目をプレゼントした[4]。この勝利で長谷川は大友工と並んで最多勝を獲得し、長谷川は「彼なしでは僕の30勝はなかった」と感謝していた[4]。この値千金の一打でカープは国鉄に8厘差で4位になった[3]1957年の春先に怪我して二軍のコーチ役となり[3]現役を引退したが、7年間で63の犠打を成功させ、スクイズバントを一度失敗したが、それ以外のバントを外したことは一度もなかった[4]

引退後もカープに残り、販売、球場課など球団職員として5年間(1957年7月 - 1962年)在籍[3]。退団後は電電中国監督(1963年 - 1965年)を務め[4]、就任の際に「全国の電電公社の中で都市対抗に出ていないのはウチだけ。なんとか後楽園へ出してほしい」と要請され、3年目に念願成就して退陣[3]。この時は2回戦で八幡製鐵に敗退したが、磯田が土台を築いた[3]。その後は広島大阪福岡などで知人が経営する会社に勤務していたが、1992年には大腸癌の手術を受けた[3]。テレビを見ていた家内が「お父さんの症状と同じ、病院へ行こう」と連れて行かれて即入院となり、早期発見で助かった[3]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1950 広島 9 16 13 0 3 0 0 0 3 0 0 0 0 -- 3 -- 0 3 0 .231 .375 .231 .606
1951 96 364 294 40 64 10 2 2 84 21 15 8 21 -- 49 -- 0 21 6 .218 .329 .286 .615
1952 103 288 244 18 50 6 1 0 58 15 1 5 16 -- 26 -- 2 13 9 .205 .287 .238 .524
1953 70 122 106 24 32 6 1 0 40 7 8 5 6 -- 10 -- 0 7 2 .302 .362 .377 .739
1954 107 328 284 28 61 3 1 0 66 10 7 11 10 0 31 -- 3 28 8 .215 .299 .232 .531
1955 81 214 185 18 36 3 2 0 43 15 2 1 4 1 23 0 0 19 3 .195 .284 .232 .516
1956 36 96 84 6 22 4 0 0 26 8 1 2 6 1 4 0 1 2 5 .262 .303 .310 .613
通算:7年 502 1428 1210 134 268 32 7 2 320 76 34 32 63 2 146 0 6 93 33 .221 .308 .264 .573

背番号

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  • 6 (1950年)
  • 24 (1951年 - 1957年)

脚注

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  1. ^ 磯田憲一 週刊ベースボールONLINE
  2. ^ 早坂隆 『昭和十七年の夏 幻の甲子園 戦時下の球児たち』 文藝春秋(文春文庫)、2012年、157頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 広島カープ連載・鯉人=21= 磯田憲一氏の巻「試練だった一期生時代大病乗り越えて今は悠々」
  4. ^ a b c d e f g h カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P42

関連項目

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外部リンク

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