石谷清重
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石谷 清重(いしがや きよしげ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。石谷政清の五男。兄に入澤行重、呑説、政信、清定、姉に桑原與三右衛門室、弟妹に乗松彌次右衛門室、小野田小一郎(井伊掃部頭家臣)室、桑原政重。
概略
[編集]『士林泝洄』に拠れば、徳川秀忠に仕えて関ヶ原の戦いに従軍し、元和9年1月11日(1623年)に死没したとされる。また『袖師町誌』に拠れば、縁があって海野又大夫を称して書院番となったが、病を得て駿河国足久保に退去したと伝えられる。子孫は尾張徳川家に仕えた。
略系図
[編集]・石谷政清-又太夫清重-弥兵衛清春(駿河国足久保村浪人)-又太夫清宣(島原の乱において同族の石谷貞清の軍に属す。尾張藩主徳川光友に召出され、附家老成瀬隼人正の同心となり200石を賜る。)(『士林泝洄』・『藩士名寄』)
・石谷政清-清重(海野又大夫)-清春-弥兵衛清勝(正徳六年二月八日没、禅得現清信士)-清升(旗本朽木周防守の家臣として百石を得るが病を得て駿河国に退去)(『袖師町誌』)